旅行記

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二郎の思い出

学部2年生くらいだったかな、当時住んでいた仙台にあの店ができたんですよ。
そう、ラーメン二郎

ラーメン二郎を知らない人のために説明すると、太くて縮れた麺にどっさりと乗っかったもやしとキャベツ、そして豚の脂がたっぷりと盛られたフードファイターのための料理です。もはやラーメンではなく、あれはラーメン二郎という食べ物だとも言われています。


こんなやつですね。これでも小ラーメンなんですよ。
主に首都圏を中心に店が展開されており三田に本店があります。最近は地方にも進出しております。

ところが名古屋にはまだ進出しておりません。
なので「二郎が食べたいなぁ」と思っても写真を見て気軽に二郎に行けた日々を懐かしく思うくらいしかできないのです。

もう学部生の頃は週1か2で通ってましたからね。大学のテスト前には験担ぎで大ラーメンでアブラカラメマシマシ唱えてましたから。
で、ラーメン二郎食べた後のテストってなんか調子が良くいい結果残せるんですよ。連日テストが続くと連日二郎になるのですがそれはそれで楽しかったですね。


※二郎では野菜や脂の量が調節でき、「ヤサイアブラマシマシ」といった黒魔法を唱えることでその時の胃袋に合った二郎を生成できる。

おかげで高血圧になるわニンニク臭くなるわで健康衛生面では良いことがなく歩く公害みたいになっていましたが間違いなく二郎に通った日々は僕の青春でした。

二郎に行きたい、そんな願いは愛知に来てからは叶えられずじまいだったのです。

ところが最近、名古屋に二郎系のお店があると耳にしました。
それがこちら

なんでも二郎系のラーメンを提供してくれるお店とのこと。
実はこういった二郎系のお店、全国に数あれど割と二郎との乖離が激しくて食べても二郎を食べてる気分にはなれなかったのです。

ところがこの立川マシマシはかなり二郎に近いとのこと、行って見なければ、そう思いました。

なごや

名古屋駅の金時計側出口から出て、KITTEの方角に歩くとそのお店がありました。
食券一覧を見るとマシライスなるものも提供しているようです。

今回は小ラーメンをオーダー。

席に着くと頼み方の図がありました。
そこには懐かしき黒魔法、もとい青春と共にあった大切な言葉があふれ出ていました。
マシマシ、この言葉だけで人類は幸せになれる、そう思いました。

久しくラーメン二郎とご無沙汰だったのでマシマシにはせず普通盛りを選択、やって来たラーメンがこちら

なんかもうあれですね、生き別れた両親との再会、懐かしき友との邂逅みたいな感情が溢れてきました。

この野菜の下には太い縮れ麺が隠れており、そのコシの強さともやしのシャキシャキ感、そしてチャーシューの肉感はもう在りし日の二郎でした。

これは通い詰めるしかない。辛い社会人生活に一筋の光が差し込みました。


おわり

北陸ほうろうき③天守閣の中を見せちゃうぞ編

前回は兼六園金沢城見ました。

あの後近江市場とか21世紀美術館とか行きたいなぁと思いつつもやっぱ城に行こうと思って福井に向かいました。

福井といえば東尋坊なんですかね。何度仕事中東尋坊に行きたいと思ったことか…
最近は観光客も多く飛ぶ人も減ったみたいな話も聞きますがあの断崖絶壁は見てみたいです。

ただ今回福井に行くのは城を見るため。福井の城というと福井城があったり、100年ほど福井を治めた越前朝倉氏館跡がありますがもう一つ忘れてはいけない城があります。

それが丸岡城です。

この丸岡城、現存する天守で最古のものと言われています。作られたのが1576年。ちなみに姫路城天守は1600年代建造です。

この丸岡城に行きたいと思います。


金沢から電車で揺られること1時間ちょっと、芦原温泉駅で下車します。駅名から分かるように温泉があります。もうこのまま温泉に飛び込みたい衝動に駆られながらバスを待ちます。

ちなみにこの芦原温泉広瀬すずさん主演の映画、ちはやふるの撮影が行われたりと前面にそのことを押し出していました。
のどかな雰囲気の駅前です。

この駅から丸岡城近くまでのバス停まで約1時間に一本の頻度でバスが出ており、所要時間は20分くらいです。

もう一面真っ白。一面のクソミドリならぬ一面のクソシロ。こんな道をバスが進んで行きます。

揺られること20分、丸岡城近くのバス停まで来ました。
遠目に天守閣が見えます。さらに近づいて行くと休憩所みたいな建物がありますがそこにはこんなものが

うん、何を意図して置いたのか分からない。

闇討ちしようとしてるのか、それとも出迎えに出ているのか分かりませんがシュールな人形です。


登城口を見つけ、登って行きます。現存する最古の天守という事で重要文化財に指定されています。


天守閣の麓には近くの古墳から出てきた石棺が置かれています。さらには丸岡の街並みを眺めることができます。


ついに天守閣へ。こじんまりとした天守ですが屋根には鯱鉾もあります。


天守閣の一階の様子です。真ん中に城の模型が飾られており、往時の姿を見ることができます。

この丸岡城は柴田氏の後青山氏、そして本多氏が治めて行きましたが、この本多氏で城主となったのが本多成重という人。そしてこのお父さんが徳川家康家臣の本多重次という人なのですが、この人は日本で1番短い手紙を書いたことで知られています。
その内容がこちら
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
このお仙というのは息子の成重のこと。
丸岡では短い手紙コンクールなるものも開かれているようです。

この本多重次という人はかなり無骨な人で武勇伝に事欠かない人と言われていますが妻子への愛情は深い人だったようです。


こういった城主情報も展示されています。



石落としや小窓があり、防御の仕組みがよく分かります。
この天守は三回建なのですが階段がこれ

かなり急な階段。しかも階段上から登るための紐が降りてるし

下から見てもかなり急な階段ということがわかります。

外を見ると見事に吹雪いています。

天守閣の中がどうなっているのか、普段は見ることがないかと思いますが中は結構シンプルな作りです。しかし的から守る仕掛けがあちこちに潜ませてあるのです。

丸岡城から下城し、バスで福井駅を目指します。
なんと豪雪の影響で城近くのバス停にバスがこれないため少し歩いた場所にあるターミナルを目指します。かなりの雪です。


バスに乗って福井駅へ。途中九頭竜川を渡ります。


50分ほどで福井駅到着。恐竜が出迎えてくれました。
電車の時間まで15分ほどあるので

東横インとルートインが隣り合っています。熾烈なバトルが繰り広げられているのでしょうか。
福井駅から300mほど歩いたところにもう一つのお城、福井城があります

石垣だけ残っていますがその内側には県庁やらがそびえ立っています。ここまで防御が堅い県庁は見たことがありません。今も昔も福井城は政治の中心地なのです。

ちなみにこの騎馬像は結城秀康。家康の次男です。

本当は天守台もあるのですが時間もなくなってきたので駅に戻りました。

【まとめ】
北陸地方は初めて行きましたが今回はかなり駆け足の旅行になりました。本当はもう一日使って富山にも行きたかったです。

それでもデザインに優れた金沢城天守閣がある丸岡城が見れたので満足しています。次は雪が溶けてからまた行きたいです。
まだまだ北陸には良いお城があるのでどんどん開拓していきたいです。

終わり

北陸ほうろうき②加賀百万石編

「9:02」

起きた時間です。

朝食時間は9:30まで。ただ9時にはホテルチェックアウトまでしてる予定でした。

前回僕はダメ人間からの脱却というこれまで数多くの人が立て、無残にも敗れ去ってきたであろう目標に果敢にも挑戦しました。

ところが現実はあまりに非情。
ダメ人間脱却ならずという結果でした。

ただですね、失敗してこその人生だと僕は思うのです。成功ばかりの人生なんてつまらないですし、歴史名を残した偉人はその失敗をバネに這い上がってきたのだと思うのですよ。失敗は成功の母。
何より朝ごはんを犠牲にしてたくさん寝たことにより返って体力が漲ってる感じすらするのですよ。

と、大口を叩いても旅程が少し押してしまったのは事実なのでいそいそとチェックアウトします。

外に出るとしんしんと粉雪が舞っています。まさに「こなあああああゆきいいいい!!」の世界です。
まず最初に目指したのは武家屋敷跡です。
金沢は戦災を免れたおかげで古い街並みが比較的残されています。その中でも江戸から続く武家屋敷群が、趣あるとのことです。

ルートインからテクテク歩いて行くと江戸から続く金沢のインフラを見ることができます

城下の用水を司った水門です。今は新しくなっていますがかつてここには城下の用水を管理した水門があったそうです。金沢の街を歩いていると水路を目にしますがその調節を行なっていました。


歩道にたくさん雪をかき分けているおかげで石碑が半分埋もれてます。この辺にも屋敷と土塀があったのでしょうか。そこから少し歩くと室鳩巣の屋敷跡があります

室鳩巣は江戸時代の儒学者で初め加賀藩に仕えました。赤穂事件で赤穂浪士の助命を行なったことでも知られています。
東に進んで行くと長町と呼ばれるエリアになります。この長町こそが武家屋敷の町です。


うーん、エモい。エモすぎる。
この長町は加賀藩士(中・下級武士)が住んでいた屋敷があり、土塀が続く町並みの中では今も市民の生活が営まれています。

この石畳、風情しかない。
ところで塀にかかっている藁ですが、これは「薦掛け(こもかけ)」と呼ばれるもので雪から塀を守るために冬になると付けるものなんだそうです。
武家屋敷群を抜けて行くと金沢の繁華街、香林坊に出ます。
香林坊から兼六園へと至る道が百万石通りとなっています。

ところでこの百万石、加賀国だけでなく能登や富山の一部を加えた上での石高なので加賀だけで100万石達成したわけではない

という話を富山の人から聞いたことがあります。

何はともあれ大名最大の石高を有した加賀藩は前田氏の統治の下栄えていき、そのお膝元金沢も繁栄します。
明治に入りこの香林坊には旧制四高が設立(のちの金沢大学)され、学生街としても栄えました。

この百万石通りの先に兼六園があります

岡山の後楽園、水戸の偕楽園と並んで日本の三大庭園とされ、池泉回遊式庭園です。

さすが豪雪となっただけあって雪がすごいですが、雪の兼六園が堪能できます。

木にかかるこのローブは雪吊りと呼ばれ冬のシンボルになっているそうです
池の水も凍ってますがなかなかの景色です。
雪の兼六園と言われる所以がわかりました。


兼六園のすぐお隣が金沢城。櫓がそびえ立っています。ここが石川門です。
よく見ると石垣が鏡餅のように四段に積み上がっています。あの辺りが本丸です。

ついに登城開始です。

登城早々に面白いものが見れます。
この写真を見て何か気づくことがありますか?

そう、左右で石垣の積み方が違うのです。
左側は「粗加工石積み」、右側は「切石積み」という積み方をしています。

なぜこのような積み方が行われたのかというと、金沢城の歴史と関係あります。金沢城はもともと戦国時代、一向宗の拠点だった尾山御坊が始まりとされ、城主となった前田利家が本格的に改修しました。その後、火災や修理で石垣の積み直しが行われるときはその時の最新技術やデザインを取り入れていき、時代の流れが感じられるほどにさまざまな石垣が配されたお城となったのです。


これは三の丸にある河原門ですが見てくださいよこの石垣。きっちりハマって色使いも抜群。もう芸術的逸品。芸術が爆発してる。

このように金沢城は「石垣の博物館」とも言えるのです。


三の丸から橋爪門を通ると二の丸へと続きます。金沢城は本丸に天守閣がない代わりに櫓がそびえ立っています。


二の丸から一気に本丸を落とそうとしましたが、雪の影響で入れませんでした。
そのかわり三十間長屋がありました。これも櫓の一つで重要文化財に指定されています。

本丸への石垣はこんな感じ
仄かに色づいている石を使用しており無骨な積み方でもシュッとした印象を与えます。

二の丸の近くには旧第六旅団司令部があります。

ここからさらに降って行くと黒門があります。そこを抜けて下城しました。


【まとめ】
という事で兼六園金沢城を堪能しました。
金沢城の魅力は櫓もさることながら何と言っても石垣。かなり心踊る石垣が見れます。石垣好きは是非金沢へどうぞ。

次の舞台は福井です。

北陸ほうろうき③に続く

北陸ほうろうき①東横インvsルートイン編

「さむっ!」

駅に降り立った第一声がこれである。車窓からは雪しか見えなかったがその寒さを肌で感じて北陸に来たのだと実感した。

ということで夜の10時50分、金沢駅からこんばんは。

なんでこんな時間に金沢にいるのかと言いますと、言うまでもなくお城を見たいと思ったから。また、北陸新幹線開通と同時に脚光を浴びだした北陸へのミーハーとも言える憧れがあったからです。

もっと早い時間にくればいいのにという声もあるかと思います。
まぁ有給の取得に失敗し、苦肉の策の早帰りを行なったものの名古屋から特急使っても軽く3時間以上かかった結果ということです。ほんとはこの時間には色々観光名所を回って美味しいお寿司食べに行ってホテルに備え付けの大浴場に浸ってビール飲みながら「今日も良き日だったなー」と思い返し安らかな眠りにつく、そんな1日を想定していたんですよ。

ところが現実は早帰りをしようとしたものの仕事が大炎上し鎮火しきれずほっぽり出した上での旅行ですからね。もう来週からの地獄の釜が蓋開けて待ってる。

という次第ですが旅行に仕事の話をするような無粋な真似はしたくないのでここからは旅行モードに切り替えます。


食べ物を求めて駅の外に出ると鉄の芸術とも言えるような屋根、そして赤門が迎えてくれました。まさに金沢へようこそって感じ。なんか勢いに乗ってる感がビシビシ伝わってくる。

雪がやばいかと身構えていたけどそれほどでもない。きっと全身全霊で除雪作業が行われたのでしょう。

ところで、いつも旅行に行くと悩むことがあります。それは、「泊まる宿をどうするか」

いや、だいたい決まってて基本は「東横イン」なんですよ。値段もリーズナブルだし何より駅近にある。ただ最近そこに「ルートイン」が大きな存在感を示しだしたんですね。

このルートイン、以前はインターチェンジ近くだったり国道沿いだったり車を使う人のためのホテルという感があったのですが近年駅の近くにも進出してきまして東横インとの全面戦争に突入しました。

そしてこのルートイン、なんと大浴場が付いているのです!!旅で疲れた体を癒すのに湯船は必須。これはかなり大きなポイント。もう風呂なんて私たち日本人の心の故郷ですからね。入らないわけにはいかない。
ただ宿泊値段が少し高い。

朝ごはんについては、東横インより豪華なのですが、これまで開店時間に起きれたためしがない。正直朝ごはんなんてあってもなくても良い。そう思っていました。


ただですね、せっかく旅行に行くのにいつもの休みのようにゴロゴロ寝ていていいのかと。いつまでもダメ人間のままでいいのかと。旅に行くからこそきっちり朝ごはんを食べなきゃいけないのではないのかと。正直僕にとって旅行は仕事よりも重要。立派な旅行を遂行するにはやはりちゃんとした朝ごはんを食べなければならない。そのためには東横インではダメだ。ルートインでなければならない。明日はちゃんと朝ごはんを食べてダメ人間から脱却するんだ!明日は9時にはホテル出るんだ!!

このような断固たる決意を秘めて、今回はルートインへの宿泊を決めました。

さて、宿も決まりルートインへのチェックインも済ませて夜の金沢へ飛び込みます。

居酒屋もいくつかあるのですがなんとなくラーメンが食べたい気分だったので、近くにある「万味」というラーメン屋へ。

ここ、普通の中華そば屋さんで並のラーメンが650円。ただ1200円払うと4玉分の大盛りに出来るのです。
育ち盛りでラーメン二郎で鍛え抜かれた胃袋を持つ自分にとって4玉なんてちょろい。
周りのお客さんが「4玉?そんなに食べるなんて人間のすることじゃないぜ」「恐れ多くて俺には真似できないぜ」とのたまっていましたが、そこで諦めてしまっては男の名折れ、末代までの恥。

という事でラーメン4玉分注文。

見た目普通の中華そば。味もまあまあ。というか普通に美味しい。
いつも「ヤサイアブラマシマシ!!」なんて黒魔法を唱えて食べるラーメンよりよほどヘルシーで体に優しいラーメンです。この分なら普通に完食できるな。


ところが半分くらい食べたあたりからラーメン二郎でも味わったあの感覚が。そう、「飽きてきた」

たしかに激安大盛りって食べ物、食べる前は楽しみワクワクで心いっぱいなんですよ、でもいざ食べ出すと飽きがくる。ココイチで700gのカレー食べて飽きがくるのと同じ原理。
もう後半はお酢と胡椒でグッチャグチャにしながら食べました。

ふとお店のテレビに目を移すとドラマ「ホリデイラブ」をやってました。
仲里依紗の濡れ場シーンをずっとやっててそれを見ながら食べたあの酢と胡椒に塗れたラーメンは忘れられません。ホリデイラブをかけていた店主さん、ナイスチョイス。

ラーメン食べ終わる時点で既に深夜0時。ホテルに戻って大浴場に飛び込みます。ラジウム泉と銘打っていていかにも効能がありそうなお湯。これに使って1日の汗を流します。ついでにお仕事も流れてほしい。満ち足りた気分でベッドに潜り込みました。

北陸ほうろうき②に続く

名古屋城!!

「名古屋の観光地どこ??」
友達にこう聞かれると割と悩みます。そう言われれば目立って有名な観光地があまりない気がする…

かに味噌煮込みうどんだったり手羽先だったり名古屋めしと言われるご当地グルメは数あれど見て楽しむ施設は少ないのかなーって気がします。

そんな中でも比較的候補として挙げられやすいのが名古屋城

しかしこの名古屋城も残念な城として地元の人にすらあまり人気のない始末。確かに空襲で燃えてるし再建した後天守内は近代的な博物館になってるしで歴史を感じにくいのかなと思います。それでも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と言われ、戦争で焼ける前までは国宝だった名城なんですが…


とまぁここまで悲観的なことばかり述べてきましたが愛知にいる以上はきちんと名古屋城についても抑えておきたいものです。

ということで名古屋城に行ってまいりました。

名古屋城は、戦国時代に存在した「那古屋城」の跡地に築城されたもので、大阪の豊臣家対策の目的で建てられました。


名古屋市営地下鉄名城線の市役所前で下車するとすぐに東門にたどり着きます。

名古屋城のすごさと行ったら何と言っても石垣の見事さ。

いわゆる「天下普請」といって全国の大名がそれぞれ材料を持ち寄って石垣や堀を作って行きました。

東門から入るとすぐに二の丸跡へ。そこでは400年前から蘇ったというおもてなし武将隊の方々が演舞してました。なかなかの迫力。

そんな彼らを横目に進んでいくとこの方の銅像が。

まぁ石垣というと大体この人が出てきます。加藤清正
彼らは石引きの人々を鼓舞するために自ら引かれる石の上に立って陣頭指揮をとったのだとか。

いや、さらに石が重くなるんだから降りてやれよ。
と声をかけてやりたくなります。
この人、築城名人と言われあの熊本城もこの方が作っています。ちなみに彼は名古屋城天守台も作っています。

東南隅櫓と西南隅櫓の間に大手門があります。
ここから本丸へ。


本丸には御殿があります。本丸御殿です。

この本丸御殿、空襲で燃える前は近世城郭御殿の最高傑作と言われ、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ、武家風書院造の双璧と言われていました。ここも昔国宝に指定されていました。内部には狩野派によって描かれた襖絵や壁画が描かれ豪華絢爛な建物であったそうです。

この本丸御殿の奥には天守閣がそびえています

巨城です。延べ床面積では日本の城トップなんだとか。

内部の1〜5階は博物館、最上階は展望台となっています。名古屋の城下町の暮らしや名古屋城の装飾品が展示されています。
また、名古屋城というとアレが有名です。
鯱鉾。

元々は火難避けとして飾られたものですが名古屋城のシンボルとなっています。このシャチの鱗目当てで盗難事件も過去に起きているそうな。

この鯱鉾、実は夫婦一体で扱われておりますが江戸時代には改鋳されてお金にされたこともあります。お城の運命も藩の財政如何によるのはいつの時代も変わりません。


と、こんな感じで名古屋城紹介してまいりました。ちなみに100名城スタンプは正門近くの総合案内所にあります。

【まとめ】
さすが天下普請で作られただけあって石垣が見応えある巨城でした。天守内部もわかりやすい展示が多く勉強になりました。
やはり戦争で焼けているのが残念ですね。名古屋城は近代に入ってからも陸軍の拠点として活用されていたという事情もありますが、せっかく国宝に指定されていたのだから当時のまま残っていれば…と思いました。

ともあれ名古屋を代表する名城に変わりはありません。名古屋に来たら手羽先とともにこちらもよろしくお願いします!


※今回は行っていませんが、名古屋城には御深井丸、本丸搦手馬出しもあり当時の築城技術を垣間見ることができます。そちらも是非見てみてください。

四条大宮ほーろーき

「そうだ、京都へ行こう」
人間誰しも生きてればこんな気持ちに取りつかれることがあると思うんですよ。少なくとも僕は3日に1回はこんな気持ちになります。仕事の最中に頭が京都で埋め尽くされることもあります。
まぁ歴史好きにとって京都はメッカですよね。その魅力は筆舌に尽くしがたい。


ということで、そうだ京都へ行こうのノリで京都に来ました。有給なんて使わず仕事終わりからの京都入りです。

雪の影響で東海道新幹線が遅れに遅れ着いた時点で既に22時。
ここから四条大宮に行きます

地下鉄と阪急を乗り継いで四条大宮へ。
実はここ、京都屈指の飲み屋街らしくてですね、一度でいいから行ってみたいと思っていました。東京に例えると赤羽みたいなところです。

まず最初に立ち寄ったのがここ

「京都 立ち飲み」で検索すると必ず出てくる「庶民」
狭い店内に人がひしめき合ってました。

ここの魅力はなんといっても値段の安さ。早速ビールを注文。
これで250円ですからね。最高。

料理はご覧の方々をチョイス。


豚の角煮…250円
お造り…500円

もう良心の塊ですよ、そんでもってめちゃくちゃうまい。ここにビールが加わるのだからもはやこの世の楽園。
時間があればこのまま居座りたかったですが次なる目的地に向かうためここでお会計。

駅の方面へ歩き、路地に入るとこんな看板が。
アパートを改装したような建物に沢山の居酒屋が入居しています。この中にある「てら」という居酒屋へ向かいます。

ここまで普通に紹介していきましたが実はこの「てら」、人が多すぎて入れませんでした。

世間ではプレミアムフライデー。飲み歩く方々で大繁盛しておりました。残念ですが次の機会にとっておきます。

気を取り直して来た道を引き返すとこんなお店が。

一軒だけでは寂しいですからね。すがる思いで入店。

なんとここも食べ物はほとんど売り切れ状態でした。

しかしお酒は飲めるとのことでビールを注文。

さらにお店の方のご好意で生牡蠣を出していただけました。

なんと大ぶりな牡蠣。噛んでみるなり溢れてくる肉汁ならぬ牡蠣汁。他に食べ物がなくてもこれだけで大満足でした。次はもっと早くに行こう…

ということであまり収穫が多いわけではありませんでしたが京都の夜を満喫しました。先斗町木屋町もいいですが是非京都に来た時は四条大宮での飲み歩きをどうぞ。

※ちなみにどの店も1人酒は普通にできます。

江戸城!!

日本の政治・経済の中心地、東京。

ここに日本屈指の巨城があります。

そう、江戸城です。
丸の内、霞が関の高層ビルが立ち並ぶ中で広大な敷地が横たわっています。現在は皇居となっております。
休日には沢山の皇居ランナーがおりまして体力づくりに勤しまれています。一周だいたい五キロくらいなんだとか…

江戸城は1457年に扇ヶ谷上杉家の家宰、太田道灌によって築かれました。
その後北条家が攻めとり、その滅亡まで支配しました。
北条家の滅亡後は徳川家康が関東に移封され、江戸城を本拠地として江戸の街作りを行います。

昔は徳川家康が江戸に入った時、寂しい漁村であったと言われていましたが、現在の研究では港町としてある程度発展していたとの見方が出てきています。



ということで江戸城大手門から入ります。
この前日は鎌倉巡りしていたので若干の筋肉痛と一緒に巡っていきます。

さすが皇居だけあって警備も厳重です。


入ってすぐに曲がり角があります。


当時の番所を横目に見ながら歩いていきます。
たださすが日本一のお城だけあってなかなかの敷地の広さです。


立派な石垣とお堀です。
江戸城は天下普請によって築かれました。つまり全国のいろんな大名が分担して工事を行いました。この石垣や堀も全国の名だたる大名が持ち寄った材料で作りました。まさに徳川家の力を全国に誇示するためのものとも言えます。


石垣や堀を眺めながら進むと変な土台が見えてきます。
そう、アレが天守台。
かつて江戸城にも天守閣が存在していましたが江戸時代の大火で焼けてしまいました。その後も再建案が出されましたがその都度財政難が理由で却下されてきました。


天守台から見るビル群です


ここ本丸にはかつて御殿がありました。ここには松の大廊下が昔あったようです(吉良上野介浅野内匠頭に切りつけられた場所です。ここから忠臣蔵が始まります。)


それぞれ皇居に残る櫓です。富士見櫓、巽櫓、そして伏見櫓の三基が残っています。


櫓を眺めつつ東京駅から愛知まで帰ります。
東京駅前がすっきりしているのでここからならよくゴジラが見れそうです(シンゴジラの話)

【まとめ】
江戸城、実はめちゃくちゃ大きいお城でこれでもあまり見尽すことができませんでした。
東京に関してはここだけでなく赤坂などにも江戸城の痕跡を見つけることができたりするので城巡りと町歩きのセットで訪問されることをお勧めします。


〜番外編〜
丸の内ビル街の一角に昼でもビル陰で薄暗く何やら不気味な静寂が支配している場所があります。

平将門首塚です。(すいません写真撮り忘れました。)

平安時代の武将、平将門の首が京都からこの地まで飛んできて塚が築かれました。
ここまでなら普通の話ですがこの首塚に関する都市伝説は数多く、今でも大切に保護されています。(伝説についてはググって見てください。わんさか出てきます)