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いい場所行こう鎌倉巡り

最近の教科書ではもう「いい国作ろう鎌倉幕府」ではないらしいんですよね。どうも「いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府」なんだとか。それよりももっと前から段階的に作られたと記述することもあるらしく鎌倉幕府に関する研究は今以て進行中らしいです。

ところで私、お正月にある映画を見に行きました。こちらです。
DESTINY 鎌倉ものがたり」より

黄泉の国に連れ去られた妻を助けにいく物語です。堺雅人がかっこいいし高畑充希はかわいいし主題歌もいい曲でしかもほっこりする映画で新年の幕開けにふさわしい映画でした。
そしてこの映画、舞台が鎌倉なんですね。しかも妖怪がわんさか出てくる。堺雅人が劇中、「ここは鎌倉だぜ?」とさも妖怪が当たり前に出てくる土地柄であることを言っていますが、まさしく鎌倉は武家の都であると同時に中世には血生臭い戦乱が繰り返されて来た土地でもあります。その表と裏の顔のあるところが鎌倉にたまらない魅力を与えているとも思います。

そこで今回は誰も行かないような(というか敢て行こうと思わない)鎌倉史跡巡りをしたいと思います。

ちなみに鎌倉が舞台になった映画がもう一つあります。
こちら。
シンゴジラ」より

そう、シンゴジラ
実は私、ゴジラの大ファンでして、この映画は多分23回ぐらい観に行きました。もうセリフは暗記しています。というかこのブログでもゴジラについて語りたいくらいです。
今回はこのシンゴジラ聖地巡礼も行なっていこうと思います。

10:52 東京発逗子行き

実は前日に例によって18きっぷで岡崎から東京に出ていまして、東京に泊まっていました。(来る途中に駿府城に行ったのですがその話はまた後日)
(そいえば痔が治りました。)

ただ寝坊をかましましてこんな時間の出発に。
最後の18きっぷを使っていざ鎌倉。

鎌倉駅に着いたら西側へ。大通りに出て右折してくてく歩いて行きます。

道中おしゃれなカフェだったり住宅地を通って行きます。途中こんなお寺が。

英勝寺というお寺です。この辺り一帯は扇ヶ谷と言われる土地で、江戸城を作り上げた名将、太田道灌の屋敷跡とされているところです。彼の主、上杉定正源頼朝のお父さん、義朝もこの辺りに屋敷を持っていたのだとか。

拝観料(300円)を支払い中へ。

鐘楼、山門と仏殿が江戸時代のもので、本尊の阿弥陀如来像は徳川家光の寄進なんだとか。というか仏殿の写真撮ってなかったごめんなさい。

竹林もありなかなか気持ちの良いお寺です。

さて、目的地はここではないのでまたてくてく歩いて行きます。横須賀線沿いを歩いていくと、こんなガード下が現れます。

ここ、実はこんな場所。

そう、鎌倉に上陸したゴジラが不気味に動いていくカットの場所です。こんなところにあったんですね。

このガード下をくぐって鶴岡八幡宮に向かって歩いて行きます。だいたい15分ちょっとくらい。

初詣の人がめちゃくちゃいる。さすが八幡宮
ただ今回はそんな初詣客を横に見つつさらに東へ。

どんどん進んでいくとこんなお寺が。

宝戒寺というお寺です。ここを右折していくとこんな石碑が。

土佐坊昌俊。頼朝の命令で源義経を襲撃した人です。襲撃は失敗に終わりますがこれが頼朝と義経の対立を決定づけます。そんなお方の屋敷跡がここにあったわけですね。

さらに進んでいくとこんな看板が。

次なる目的地はそう、北条高時の腹切りやぐらです。
北条高時という名を聞いたことある人はあまりいないのではないでしょうか?14代執権にして得宗9代目。鎌倉幕府最後の北条家当主です。
後醍醐天皇足利尊氏新田義貞鎌倉幕府倒幕に動き、鎌倉を攻めた新田義貞によって北条家の人々は自害に追い込まれました。この自害した場所が東勝寺という場所であり、その近くにあるのが腹切りやぐらです。
賑やかな通りから一転、一気に静かな路地を歩いて行きます。途中上り坂になっていきます。
そして原っぱが現れます。ここが東勝寺跡です。さらに登っていくと

北条高時の腹切りやぐらです。割とガチ目の心霊スポットでもあるらしく、ピクニック気分で訪れないようにという注意書きもありました。
この場所で800人以上の北条家、幕府方の人々が自害しました。一帯が静寂に包まれており諸行無常を感じざるをえません。ちなみに俳優の高倉健は北条家の末裔を称しており参拝していたのだとか。


ここで自害した人々の遺体は別の場所に埋葬されたそうで、人骨等が発掘されたそうです。
先程紹介した宝戒寺は、実はここで自害した北条家の人々を慰霊するために足利尊氏が建立したものです。

寺の幕には北条家の家紋である三つ鱗が描かれています。トライフォースではありません。

さて次なる目的地へ。宝戒寺前の道に沿って30分ほど歩いていきます。

杉本観音です。ここは鎌倉最古の寺と言われる杉本寺があります。階段を上っていくと本堂が。

実はここも兵火に巻き込まれています。
南北朝時代南朝方の北畠顕家北朝方の斯波家長をここで自害に追い込みました。この時北畠顕家は20歳、斯波家長は17歳であり、共に若年で大将として戦を行いました。ちなみにこの北畠顕家、公家出身でありながらめちゃくちゃ戦に強い人です。足利尊氏も彼には敵わず一度九州に追い落とされています。

このお寺のある山にはかつて杉本城があり、破れた斯波家長はこの寺の境内で自害したと言われています。境内横にはここで討ち死にした人々を弔うためと伝わる供養等が残っています。

さて次なる目的地へ向かいます。八幡宮方面に歩き北へ向かうと白旗神社があります。頼朝の墓があります。

近くには法華堂と呼ばれるお堂がかつてありましたがそこで鎌倉時代にある一族が滅亡しています。三浦一族です。

頼朝の平家討滅に大功がありながらも、北条家との権力闘争の末、宝治合戦で敗北した三浦一族が自害したやぐらがあるのです。
ちなみに鎌倉に多くあるやぐら、納骨堂だったり供養堂として作られたもので、今でこそ洞窟にしか見えず宅地開発等で潰されるものも多いですが建立当時は豪華な装飾が施されていたと言われています。

鎌倉というと大仏だったり鶴岡八幡宮、小町通など賑やかなものが連想されがちですが、少し横道に行くとこのような戦乱の跡が見つかります。まさに陽と陰兼ね備えた都市だと思います。

ここから鎌倉駅に再度戻ります。途中こんな建物が。

どう見てもカフェにしか見えない。(実際カフェらしい。)
机上で学ぶだけでなく実地でも学ぶことがあればそこはもはや大学のキャンパスなのです。

そして鎌倉駅から御成通りを歩きます。

実はここ、シンゴジラ聖地です。

こんな場所からゴジラの尻尾が振り回されたらと思うと…
逃げるより固まってしまいます。

さて鎌倉駅から江ノ電に乗って稲村ヶ崎へ向かいます。

稲村ヶ崎駅について海の方へ歩いていきます。
夕日がきれいで、眺めてるカップルがめちゃくちゃ多かったです。

そんな人たちに目もくれず海沿いに歩いて行くと…

新田義貞稲村ヶ崎に刀をポーンと投げて潮が引くことを祈った、という伝説の地に辿り着きます。ここから新田義貞は鎌倉に突入、先ほどの東勝寺で北条一族を滅亡に追い込みます。

そしてここは本日のシンゴジラ最後の聖地です。
ゴジラ新田義貞稲村ヶ崎から鎌倉に突入します。稲村ヶ崎は鎌倉の玄関口なんでしょうね。

【まとめ】
今回シンゴジラ聖地巡礼と鎌倉史跡巡りを同時敢行しました。鎌倉史跡についてはあまり恋人だったり家族とは行きたくないかなと思うような場所にばかり行きました。

多分今回行った場所に関係する人、北条高時斯波家長、三浦一族…おそらく知らない人の方が多いと思います。
大きな理由は彼らが敗者だから。

負けるからには負けるなりの理由があると思います。ただ彼らがただ無能だったのかというとそういうわけではないと思うのです。その場その場で最善と思われる手を打ち続けたものの時運に逆らえず滅ぼざるをえなかったのでないのでしょうか。
北条家は鎌倉の切り通しで反幕府軍相手に一歩も引かない戦いを行い、斯波家長は少数の兵で戦の天才北畠顕家相手に戦い抜き三浦一族も幕府軍相手に壮絶な抵抗を行ったそうです。

そのようなことは歴史の教科書にはまず書かれません。だからこそこうした史跡がある意味があると思うのです。

新年早々重めの史跡に行きましたが個人的にはなかなか趣深い旅行が出来ました。

そして改めてシンゴジラの偉大さ、面白さを感じることも出来ました。また映画館で観たい。というか最初の東京駅の写真もシンゴジラ聖地だわ。

妖怪たちが蠢く古都鎌倉、ぜひ足をお運びください。