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高遠城と中山道奈良井宿

どうもどうも

前回は松本城へ行ったところで終わりました。
ただ松本城の中までは入らなかったので今日はその紹介をします!

…と言いたいところですが、ちょっとそれ以上に紹介したいお城があるので松本城紹介はまた今度にします。どうせ今後も何回か行くと思うので(それくらい松本城も好きなお城です)

さて、どこに向かうかと言うと伊那市駅へ向かいます。

松本から電車で2時間くらいです。ただ本数が多くないので旅程を組むときは気をつけてください。

駅前がそれなりに発展しています。商店街も機能しており盛り上がりも見せていました。

ここからJR関東バスで高遠駅を目指します。

揺られること25分、520円で行けます。
この近くに何があるのかと言うとこちら

そう、高遠城があります!!

実は私、数ある城の中でも高遠城はとても好きなお城なんです。
戦さの舞台となりながらも廃城とならず、明治維新を迎えた城であり、何より私が好きな武将、武田勝頼、仁科盛信に関係するお城だからです。

ここでちょろっと武田勝頼、仁科盛信について説明します。

武田勝頼風林火山の旗印でおなじみ武田信玄の四男です。そして仁科盛信は信玄の五男となります。しかし勝頼、盛信は母親が異なり、盛信は信濃の豪族仁科家の家督を継ぐことになります。

ただ兄弟仲はとても良かったと伝わり、勝頼は信玄死後、盛信に高遠城を守らせます。この高遠城は戦国時代から重要なお城と考えられており、勝頼も城主であった時期もあり、信玄の弟、武田信廉が城主だった時期もあります。


江戸時代、宿場町として栄えた高遠の街は今もその面影を残しています。銀行の外観も昔の建物のようになっています。
この道を進み右折すると
高遠城址公園への案内板が出てきます
そして当時の登城口も
ここからズイズイ進んで行きますと階段があり
大手門があった場所にたどり着きます。
いまは面影がないですが、2枚目の写真にある石垣が手前に飛び出ているところから、ここが枡形となっていたのではないかなと思います。
ここからまっすぐ進むと、左手に門が見えます
伝大手門ということで、実態は不明ながらも門の一つではと言われています。ここが三の丸になります。そして反対側には、
勘助曲輪と言われる広場があります。
勘助とは、以前大河ドラマにもなりました風林火山の主人公、山本勘助に由来します。
実は、高遠城の設計を担当し大改修したのは山本勘助と言われています。

当時ここには堀があり、武家屋敷と曲輪が分けられていたと考えられています

ここから階段を上ると二の丸に出ます


ここに生えてる木は基本的に桜です

コヒガンザクラと呼ばれるもので高遠城は桜がめちゃくちゃ綺麗なお城でもあります。
まだ開花前ですが、
Wikipedia高遠城」より」
開花するとこんな感じになるそうです。
ただ、桜の季節になると人でごった返すらしいですね


当時の土塁もきちんとその姿を留めています。

そしてついに二の丸から本丸へ移動します
二の丸と本丸は堀で隔てられており、橋が架けられています。深く広い空堀も目を引きます。
桜雲橋と呼ばれるもので、桜の雲の中にいるように見えるということでこんな名前がついたそうです。当時の城では切って落とせる橋があったそうです。この門は問屋門と呼ばれ、もともとここにあったものではなく、宿場町にあったものをここに写したものらしいです。


橋を渡り本丸に入るとこの城の歴史を記す看板があります。

実はこのお城、冒頭紹介した仁科盛信が籠城し玉砕した城なのです。

1582年、織田信長は武田攻めを開始。木曽から長男織田信忠を大将に攻めさせました。武田方の城は大軍である織田勢に抵抗せず開城していく中、この高遠城だけは必死の抵抗をしました。
しかし大軍相手にはどうすることもできず、1日で落城、場内の兵3000(500という説も)は全員討死したと伝わっています。

仁科盛信も自害するときは自分の腸を投げつけるという壮絶な死を遂げました。
というか自分の腸を掴んで投げるってどんな姿だよ…

高遠城の桜が赤みを帯びているのはこの時の戦死者の血を吸っているからだと言われるほど壮絶な戦いとなりました。

ちなみに武田家が滅びたのは1582年3月11日、高遠城の戦いが起きたのは同年3月2日だそうです(どちらも旧暦)なので今月中にどうしても行きたいと思っていました。


広めの本丸です。ここにも多くの桜が植えられており奥には仁科盛信を祀った神社があります。(指が写っちった…)

本丸から連なって南曲輪、法幢院曲輪があります
これら曲輪も激戦が繰り広げられた場所です。
高遠城から出て少し歩くと博物館があります。
そこにはこんな像が。

保科正之の像です。
保科正之は誰かと言うと、江戸幕府二代将軍、徳川秀忠の息子となります。ただし妾の子であり、正室を憚って隠し子として密かに養育されました。
その後、当時この高遠を治めていた保科家の養子となりこの地で養育されるのです。

彼の兄、徳川家光は正之をとても気に入りその後会津藩主としました。(彼の子孫が会津松平家となり、戊辰戦争につながっていきます)

この博物館に高遠城のスタンプがあります。

さて、スタンプも押したところで次の目的地へ。
高遠城を守って討死した仁科盛信は、戦い後首を晒されますがその胴体は地元の農民によって葬られたそうです。
その地が「五郎山」と言います。(五郎とは仁科盛信が信玄の五男で、五郎と呼ばれていたことから)
墓参りを兼ねて五郎山登山開始です。

高遠城跡から歩いて25分くらいのところにあります。
ただ、山なのでそれなりに体力が必要でしょう…


山に向かう途中、橋と高遠ダムがあります。ダムはなかなか見ごたえがあります。

ちゃんと山の入り口がありました。テクテク登っていきます。

舗装されているのでなんてことはないのですが容赦ない上り坂が続いていきます。というかこれ歩きじゃなくて車で行くべきだったんじゃ…。


なんてとこ通らせんねんと突っ込みたくなるような道になりました。しかもオオスズメバチ注意の看板もあり冬とはいえ恐怖心を煽っていきます。この獣道を通って行くと…

あれは石碑ではないか!!
勇んで近づくと

大正解。仁科盛信の墓にたどり着きました。
どっぷりした体躯の像です。
今でも献花がなされており地元の人に慕われているのが窺えます。
仁科盛信の享年は26歳なのですが、私とほとんど変わらないんですよね。そんなところにもこの武将には親近感を覚えます。

山から街並みも見下ろせます。

ちなみにこの五郎山、麓に行くにつれて四郎山、三郎山、二郎山、一郎山と名がつけられており、それぞれにこの戦いで討死した武将や兵士の祠が建てられています。中には諏訪はなという女性の祠もあります。この諏訪はなという人、女性ながら織田兵と互角の戦いをした勇ましい女性として名を残しました。しかも美人だったらしい、、、

今回の高遠城の合戦、小説ですと新田次郎武田勝頼」で詳しく描写されています。

全四巻で長く、高遠城の戦いは四巻目となりますが、武田家がどのように滅んで行ったのか、著者の目線も含めて書かれているのでぜひ読んでみてください(小説なので多少の脚色がありますが)

武田氏滅亡 (角川選書)

武田氏滅亡 (角川選書)

ちなみに学術的な本だとこの本が詳しく武田家滅亡について書かれています。700ページと長いですが、大国武田家が外交的に追い詰められどんどん近隣諸国と連携できなくなっていく様、領土をじわじわと侵略されて行く様が書かれています。

なんか読書案内をしてしまいましたがぜひ読んでみてください。

ここから下山、高遠駅を目指します
もうこの段階で足がガクガクになり、無心で下山しました。

途中高遠の街を散策すると

薬局が運営する古本屋や

極楽の松がある満光寺などがありました。

高遠駅から伊那市駅へ、そしてそこから中央本線を使って名古屋へ戻ります。だいたい7時間くらい。長い。

途中、こんな駅で下車しました。

塩尻駅です。何かあるってわけではないのですが乗り換え時間がめちゃくちゃあったので食べそびれていたお昼を食べます。
改札を出ると、
どうやらこの塩尻駅はインスタで来た人に宣伝してもらいたいようで、インスタ映えグッズも置いてありました。その中には
時刻表も入ってました。
時刻表もインスタ映えする。よし、おぼえた。

この塩尻駅の観光案内所に入ると「中山道」「ワイン」「宿場町」といった言葉が多く並んでいます。このあたりは五街道のひとつ、中山道が通っており宿場町として江戸時代は栄えていたそうです。

その中のひとつの宿場がこちら
中央本線奈良井宿駅で降りてすぐのところにあります。当時の街並みや景観を壊さずに宿場町が眼前に広がっています


エモい。エモすぎる。タイムスリップしたような感覚が得られます。
奈良井宿祭神の鎮神社です。
あまり宿場町や建物に関する知識がないので「ほえー」とか「すげー」みたいな言葉しか発していませんでしたがとても落ち着く雰囲気でした。

駅から少し登ったところには二百地蔵があります。この道が昔中山道として機能したそうです。
こういった街道や宿場は景観保存されている場所も多数あります。ほかの宿場街にも足を運びたくなります。

〜まとめ〜
ということで今回の旅行は以上になります。日頃の仕事のストレスをこうやって旅行で発散するとお金もなかなか厳しくなるのですがそれでもいろんなものを直に観れる旅行は好奇心を掻き立てられます。
今回行った高遠城はとにかく街含めてオススメですのでぜひ行ってみてください。なんなら近くのお城もいい城がたくさんあるのでそちらもよろしくお願いします。

おわり