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鳥羽城と松阪城

どうもご無沙汰しています。

実は4月上旬に痔瘻を患い苦しみのたうちまわっていまして久方ぶりの城攻めとなりました。ちなみに痔瘻については手術兼入院という仕儀に立ち至りそうなのでまたご報告することがあるかと思います、、、

さて、久しぶりの旅行ですが隣県の三重に行ってきました。第一の目的は伊勢神宮痔瘻の完治と転職祈願をすることだったのですが寄り道して鳥羽城と松阪城に行って来ました。

まず鳥羽城ですが、戦国時代、水軍を率いた九鬼氏のお城となります。九鬼嘉隆という人が信長に仕え、鉄甲船を作るなど活躍しました。

この鳥羽城、当時は大手門が海に面しており海に浮かぶ城に見えたそうです。


鳥羽駅から15分ほど歩くと三の丸に着きます。
鳥羽が真珠の産地であり真珠に関するお店が割と多くあります。

九鬼氏の家紋が掲げられており後ろの壁には九鬼水軍や鳥羽城に関するパネルが展示されてます。

ここから本丸に向かって歩いていきますが石垣がなかなか見事です

段々になっており見応えのある石垣です。防備がきちんと固められているのが伺えます。


三の丸から二の丸へと進む道も石垣が残っています。

二の丸からパシャり。

電車が来るところを撮れました。「そうだ、鳥羽へ行こう」みたいなフレーズ入れればそれっぽい広告に出来そうです。


二の丸から本丸は石垣を横目に登ればすぐのところにあります。
今は潰れてますが井戸もあります。

当時は天守閣もあったらしいですが今はその面影はありません。

全体的に小振りなお城ですが眺めも良く、水軍の本拠としての風格が漂うお城でした。

続いて松阪城を紹介します。

松阪城は信長の娘婿、蒲生氏郷が築いたお城です。この氏郷、会津若松城も作っておりかなり優秀な武将でした。

松阪駅から歩いて20分くらいのところにお城があります。江戸時代は松阪の街が商人の町として発展し、三井家発祥の地や商人の旧宅など他にも見所があるようです。

城に向かう途中には江戸時代の国学者本居宣長に関する史跡もあります。彼はこの地で生まれ、のちに古事記伝などを残しました。

本居宣長旧宅跡も残っています。

松阪城はここから少し歩けば着きます。

市役所のすぐ近くに大手門跡があります。大手門への道はまっすぐではなく少し曲がっており、「食い違い虎口」と言うそうです。


石垣が見事に残っています。城の遺構もかなり良い状態で残っています。

城から見える松阪の街並みや、本丸跡に残る天守台など当時の面影や街の眺めを偲ぶことができます。
松阪城の敷地内には本居宣長の旧宅を移築して展示されています。

城のすぐ隣には御城番衆の長屋が残っています



綺麗な通りを挟むように長屋が続いています。今でも人が住んでいますがそのうちの一つが重要文化財となって公開されています。


古き良き日本の住宅という趣があります。
今回知ったことですが松阪にはこのように旧家や商人の宅地が残っており重要文化財が数多くあります。

そのうちの一つ、長谷川宅は江戸時代呉服屋として財を成した長谷川氏の住宅です。江戸からの蔵が4つ、大正時代に作られた貴賓室など数多くの建物が残っています。また蔵から見つかった小判の展示も行われていました。

三井家や長谷川家のように松阪は多くの商人を輩出しました。松阪の発展させた蒲生氏郷が近江出身ということもあり近江商人の「三方よし」の精神が脈々と受け継がれているのだと感じました。

次に来るときはお財布にたくさんお金を詰めて松阪牛をかっ喰らってやろうと思います。