東京お散歩2
ついにやってきました。
夏休み!!
会社に行かなくていいというだけでなかなか気分の良いものです(ただ休み明けの業務が今から憂鬱…)
さて、夏休みに入ったので東京に来ました。
なんで東京かというと、この夏休みを利用して職を転する活動を行うためです。(この話は進展があったら後日します)
訪問する企業が泉岳寺駅近くにあったため、駅名にもなってるお寺を参詣しました。
地下鉄に乗って泉岳寺駅へ。そういえばシンゴジラにも出てきたような…
改札を出るといきなり人名を書いた看板が。
ここに書いてあるのは、忠臣蔵で有名な赤穂浪士47士の方々です。
忠臣蔵、赤穂事件って何??って方のためにざっくりお話しすると、1701年、徳川綱吉が将軍だった頃、江戸城松の廊下において赤穂藩主 浅野内匠頭が吉良上野介に突然斬りかかるという事件が勃発。原因は今以て不明(斬りかかる以上何らかの遺恨があったのでしょうが)ながら、ちょうど朝廷からの使者を接待している時の不祥事ということで綱吉が激怒、すぐに浅野内匠頭に切腹が命じられました。
赤穂浅野家も改易、藩士も路頭に迷う事態が生じます。
他方、吉良上野介には何のお咎めもありませんでした。当時は喧嘩両成敗が原則であり、浅野家からすれば納得のいく裁定ではありませんでした。
お家再興も叶わず、さらに吉良上野介が隠居してしまったことで幕府による制裁も望めなくなり赤穂藩の大石内蔵助、堀部安兵衛らが中心となって旧藩士をまとめて仇討ちを計画します。
そして仇討ち当日、集まった赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入り吉良上野介の首級を上げ、主君の仇打ちを行いました。
さて、この仇討ち、幕府は裁定に苦労します。民衆の赤穂浪士支持があったとも、幕府内にも浪士支持の意見があったりとしたそうですが最終的に武士の体面を保つため切腹という処分が浪士に下ります。
浪士が切腹し、その後葬られたのがこの泉岳寺になります。彼らの主君の浅野内匠頭もこの寺に葬られています。
以上が赤穂事件の簡単なあらましです。討ち入り前の会議や打ち合わせなどドラマではいろいろ描かれています
本堂のすぐ近くに赤穂事件関連の史跡があります。また資料館もあります
浅野内匠頭の血が付着したという木や石
さらに吉良上野介の首を洗った井戸など。
お墓へはこの門をくぐります。この門、元は浅野家の江戸屋敷の門なんだとか
入って右手には浅野内匠頭の墓
そして主君に寄り添うように47士の墓が並びます。
家老大石内蔵助の墓もありました。
意見の対立や改易直後の混乱を収拾させるなど手腕を発揮したお方です。
面接前にちょこっと立ち寄らせていただいた泉岳寺、歴史の一事件を今に伝えるお寺でした。
忠臣蔵はさまざまな方が小説にしたり映像化しています。よく知らないという方は一度見てみてください。