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伊賀上野城!!(と水口城)

どうも

写真フォルダを整理していたら行ったけどブログにまとめてない城の写真がちょいちょい出てきたので少しずつまとめていきたいと思います。

今回は伊賀上野城を紹介します。

伊賀上野城は築城名人として知られる藤堂高虎によって築かれました。

元々は寺院やこの地方を治めていた仁木氏の居館がありましたが、戦国時代に入って織田→筒井氏と支配者が変わっていきます。

そして筒井氏の時代に本格的な城が作られていきました。

しかしこの筒井氏が不祥事を起こしたため領地没収となります。代わりに移封されたのが藤堂高虎関ヶ原の戦いで家康が勝ち大阪の豊臣氏に対抗するため高虎はこの城を大改修します。

天守閣も築かれましたが嵐により倒壊、以後再建されていませんでしたが昭和に入り復興模擬天守が建てられました。



伊賀上野城に行くには伊賀鉄道上野市駅で降りるのが最も近いです。典型的なローカル線ですが車窓から天守閣を拝めます。

この城は平山城になるため駅から天守台まで行くには小高い丘を登っていく必要があります。
各所に長屋や台所の跡が残っています。


こちらが天守閣、訪問した際にはまだ修理中でした。
天守にある「忍び井戸」です。説明板によると、高虎は家康より大坂城攻略に失敗した場合は上野城に籠城する旨を伝えられ、水に困らぬよう小天守に深井戸を掘り、更に横穴を四方に掘って万一の際の抜け穴とし城下町と通じさせていたようです。


藤堂高虎といえば「高石垣」と呼ばれる高い石垣を持つ城を数多く作っています。

大坂城の高石垣とともに日本で一、二を競う石垣は1611年に「打込はぎ」の技法で築かれ、根石より天端まで29.7mの高さ。下を見るだけで震えるくらい高いです。とても鎧を着て攀じ登れるようなものではないと感じました。

こちらは俳聖殿と言います。かの松尾芭蕉生誕300周年を記念して昭和時代に作られました。松尾芭蕉、実は伊賀国出身です。そのため実は忍者だったのではという伝承も残されています。



城から下山して街並みに出ても、当時の城跡を彷彿とさせる地名や石碑が残されています。
丸の内と聞くと丸の内にゃんにゃんOLと呼ばれるように東京の洒落たビジネス街が頭に浮かぶかもしれませんが実は城の敷地内は全部丸の内になるんです。
丸の内は東京だけではありません。

こちらは上野天神宮
菅原道真が祀られており、藤堂高虎によって城郭鎮守として勧進されました。


伊賀は伊賀忍者の里としても有名です。地元の三重大学には忍者の研究が盛んに行われていますが街中ではこんな忍者の人形も見ることができます。(時が450年くらい止まってるんじゃないかと思うくらいボロボロになってますが)

忍者の国伊賀とこの地を見守る伊賀上野城、是非訪れて高石垣を堪能いただければと思います!


おまけ

伊賀から帰る際に近江鉄道に乗ると「水口城南口」駅という駅があります。
(この城は伊賀ではなく滋賀県甲賀市にあります。"こうが"ではなく"こうか"です

この駅から少し歩くと水口城があります

関ヶ原の戦いが終わった後この水口は宿場町となり、徳川家光が上洛するための宿として作られました。そのため戦いのためというよりも御殿のような役割を担っています。


筆者の旅程がかなり杜撰だったため夜での訪問、しかも城内に入れずというお粗末さでしたが櫓もあったりと見所がありそうなので後日改めて行ければなと思います。