お城旅行記

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葛西城!

どうも

今回は東京葛飾区にあります葛西城に行ってまいりました。

ちょうど近くで用事があって行きがけの駄賃とばかりに城攻めしてきました。

「あんなところに城なんてあったっけ?」と思う人も多いかと思いますがご想像の通り今は何も残っておりません。全て環七通りの地下に埋められています。

とは言っても石碑くらいはあるだろうと思うので行ってまいります。

最寄り駅は青砥駅になります。

駅前には商店街っぽい雰囲気も漂ってます。

環七沿いに歩くとなんかアンバランスなローソンを見つけました。

青砥駅から歩くこと20分、御殿山公園にたどり着きます

御殿と名がついている通り、徳川家康が鷹狩りの宿所としてここに御殿を建てたことに由来します。
ただその御殿も明暦の大火で焼失した江戸城再建のための資材として供出され、その後は利用されませんでした。



がっつり公園となってますが、葛西城の復元図がありました。
こうしてみるとかなり大きな城郭だったことが伺えます。



青砥藤綱城跡という石碑もありました。
もともとこの地には葛西氏という一族が館を構えていましたが、その後青砥藤綱という鎌倉時代の武士が館を構えた場所とも伝えられています。

青砥藤綱、知らない人も多いかと思いますが、鎌倉幕府評定衆の1人として活躍し、公正な裁きを行った高潔な人物と今に伝わっています。

彼について一つ残っている逸話を紹介します。
彼が滑川を通る際に銭10文を落とし、従者に命じて銭50文で松明を買って探させた。「10文を探すのに50文を使うのでは、収支が合わないのではないか」と、ある人に嘲られたところ、藤綱は「10文は少ないがこれを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。50文は自分にとっては損になるが、他人を益するであろう。合わせて60文の利は大であるとは言えまいか」と答えたそうです。

この話は太平記にもあり、戦前の教育でも使われたそうです。


その後、扇谷上杉氏、後北条氏と支配者が変わり徳川家康が治めることとなり先ほどの御殿へとつながって行きます。



環七通りが城郭を真っ二つに分断しており、反対側が葛西城址公園となっています。
まあ予想通りほとんど、というか全く遺構が残っていません。土塁くらい少しは残してくれればいいのに。

ただこの葛西城、道路を引く際に発掘調査も行われ、その際は漆器や人骨が出土したらしく、かつては遺構が残っていたようです。

東京にはこのように開発で失われた城郭がまだまだあるのでチョロチョロと調べていきたいです