お城旅行記

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クレしんのアッパレ戦国大合戦

どうも

最近お城に行けてないので代わりにクレヨンしんちゃんについて語る。なんとなく気分を変えて普段とは言葉遣いを変える。

クレヨンしんちゃんといえば今や国民的アニメである。
『子供に見せたくないアニメNo,1』にも輝いたことがあるクレしんアニメであるが、その中でも名作と呼ばれる話は数多く存在する。
今回はクレしん映画の中でも名作の呼び声高い『嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』を自称歴史好きの私が、日本史的な観点から頑張って考察しようと思う。

(ネタバレも含んでしまうのでまだ見たことない人は最寄りのTSUTAYAなりGEOでDVDを借りて見てから読んでください。また筆者の妄想が多分に含まれたアブナイ文章なので読む人も心して読んでください。)

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』は2002年に公開された映画である。
すごくざっくりあらすじを説明するとしんちゃんと野原一家が戦国時代にタイムスリップし、当時春日部を治めていた春日家の当主、康綱の息女「廉姫」と春日家に仕える武士「井尻又兵衛由俊(いじりまたべえよしとし)」(以下又兵衛)との出会い、現代に帰るために共に奮闘するお話である。


この映画、歴史好きが見ると本当にびっくりする。アニメとは思えないほどにその描写がマニアックなのである。むろん春日家も廉姫も又兵衛も架空の人物なわけであるが、それこそ大河ドラマ以上に作りこまれている。

戦国時代といっても100年以上ある長い時代であるが、しんちゃんがタイムスリップしたのは天正2年である。
西暦に直すと1574年。当時の出来事を、戦国1の有名武将である織田信長を中心にして書き出すと

1560年 桶狭間の戦い 今川義元を討ち取る。
1568年 足利義昭とともに上洛
1570年 姉川の戦い 織田信長徳川家康連合軍が浅井長政、朝倉景建連合軍を撃破する
1571年 比叡山焼き討ち
1573年 足利義昭を京都から追放。室町幕府の事実上の滅亡
1575年 長篠の戦い武田勝頼を撃破する

といった感じである。まさに織田信長が天下取りに邁進していた時期である。

では1574年の春日部はどうであったか。

当時の関東地方は神奈川県にある小田原城に本拠を構える超化け物級大名の北条家(当主は4代目の北条氏政)と、新潟県春日山城に本拠がある上杉家(当主はこれまた戦国時代ほぼ無敗の戦歴を誇る上杉謙信)が関東地方の覇権をめぐり泥沼の戦を行っており、その主戦場となっていたのが今の群馬県、栃木県、埼玉県という北関東に相当する地域であった。


映画序盤、タイムスリップしたしんちゃんは又兵衛率いる春日勢と他家の戦に巻き込まれる。
のちにこの対戦相手が「いわづきの連中」ということがわかるのであるが、埼玉県で「いわづき」というと、現さいたま市岩槻区のことであり、春日家は岩槻の連中と戦をするほどの険悪な関係であったことがうかがえる。
そして、当時の岩槻がどの家の勢力下にあったかというと、小田原北条家の支配下なのである。

ということは春日康綱は小田原北条家と敵対関係にあったことになる。

だがここで、春日康綱の名前に注目すると妄想がものすごく膨らむ。
「康」という字であるが、実は北条家当主の北条氏政のパパの名前が北条氏康(小田原北条家の3代目当主)という名前なのである。

つまり春日康綱は北条氏康から名前をもらっている可能性が出てくる。

この時代、名前の一文字をもらうことは名誉なことであり、春日康綱は北条氏康からの信頼が厚かったために名前をもらえたと考えることができる。

ところがこの北条氏康は1571年に死去する。物語の舞台は1574年のためこの3年間のうちに春日家は北条家から離反したのだろう。
おそらく春日家は周囲が北条家の勢力下に治まる中で孤立したはずである。その証拠に隣国の大名「大蔵井高虎」(以下高虎)に娘の廉姫を嫁がせてお家の安泰を図ろうとした。
だがここでしんちゃんのパパ、野原ひろしから「のちの世に春日という名前は残っていない」という話を聞く。
お家の安泰を図ってもいずれは滅びるなら家族共に過ごす時間を持とうと、康綱は大蔵井家との婚姻を破棄する決断を下す。

これにブチ切れたのが高虎である。なにせ小国の春日家に婚姻を一方的に破棄されたのだから面目をつぶされたと考えてもおかしくない。

そこで高虎は2万の軍勢(劇中セリフより判明)を率いて春日家に侵攻するのである。

この時期に2万という大軍を関東で動員できる大名はただ一つ、小田原北条家のみである。

おそらく高虎は北条家に臣従している大名の一つ(より厳密にいうと国衆という存在である。春日家も同様である。)なのであり、北条家からの援軍もこの軍勢の中に含まれているとみていいだろう。

では、春日康綱には勝算があったのか?
彼は最初の戦略として城にこもる「籠城」を選ぶ。物語序盤で春日家本拠の春日城の全景が映し出されるが、いわゆる平山城の形式であり、それほど堅固というわけでもない。また籠城というのは他家の援軍が見込めないと勝ち目がない戦略である。
では彼に味方する大名がいたのか。

答えは一つ、上杉謙信である。

実は上杉謙信は秋口から春にかけて関東に毎年のように侵攻しているのである。理由としては冬になると新潟から関東への道が雪にふさがれてしまうことにあるのだが、春日部のような埼玉県北部は上杉家の関東侵攻の重要拠点として機能していた可能性が高い。
すなわち康綱は上杉謙信の援軍を見込んだうえで高虎との縁談を破棄したと考えられる。こいつ結構なタヌキじじぃである。

実際、この天正二年であるが上杉謙信は埼玉県に侵攻、春日部の北にある騎西城という城を攻めているのである。(しかもこれが上杉家の最後の関東侵攻となる)
この事実が康綱の背中を押したのだと思う。


つまりこの戦は北条家と上杉家の代理戦争と言えるのである。

さて、実際に春日家に攻め込んだ高虎であるが、初めに全歴史好きを号泣させるような行為を行っている。

配下の武将が春日領の稲を刈り取っているのである。

こんな描写、大河ドラマでもお目にかかったことがない。実際にこの稲刈りというのは籠城側にとって、また民衆にとって明日を生きる食料を奪われる危機的状況を表す。
場合によっては阻止するために城から打って出ることもあるのである。いや本当にしびれた。たぶんこの映画の号泣ポイントの一つは間違いなくこのシーンである。

続いて兵たちの装備である。竹を組んで鉄砲避けの盾を作り、槍合わせだったりと本格的な時代考証が火を噴いている。ちゃんと投石部隊がいることも特筆に値する。とてもお尻を出して周囲を呆れさえる園児の物語とは思えない。脱帽である。

とりあえず籠城戦を乗り切った春日家であるが、戦局打開のため大蔵井本陣に朝駆けを行うことになる。この時、又兵衛と野原一家が高虎と直に対決することとなるのだが、この時高虎を護衛する武士の名前がこれまた驚きなのである。

その名も「真柄太郎左衛門直高(まがら たろうざえもん なおたか)」
実はこの名前と同姓同名の人物が戦国時代に実在している。今の福井県に本拠がある朝倉家の武士に真柄直隆という人物がいるのである。この武士は上述の姉川の戦いで徳川軍に討ち取られてしまうのだが、本作のモデルになったかと思うと妙に感慨深いものがある。

他にも高虎が南蛮銅具足という当時でも珍しい具足をつけていたり、攻め櫓が使われていたりとオタク垂涎のシーンが続くのであるがそろそろ変人と思われかねないのでこのあたりにしておこうと思う。
しかし、たとえアニメ映画、フィクションといえどもちょっと調べると史実とのつながりが見えてきたりしてより作品を楽しめるということに気づけただけでも、本作を見る価値はあったように思う。

最後にこれだけは言わせてほしい、あっぱれ戦国大合戦はオトナ帝国の逆襲と双んでクレしん映画の傑作であるということを。


本文は多分に筆者のアブナイ妄想を含んでおります
ご了承ください