旅行記

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駿府城!!

昨年の大河ドラマ「おんな城主直虎」で駿河今川家が前半取り上げられました。特に今川義元の息子、今川氏真が最終回まで登場するという準レギュラー化していて氏真の知名度が上がったのではと思います。
ただ個人的にはやはり高橋一生が最高でした。小野政次という井伊家を裏から支える影のある役柄がなんとも言えない渋味を出していました。

ということで今川家の本拠地であり小野政次が何度も足を運びそして晩年家康が過ごした駿府城に行きたいと思います。


たまたま東京に行く用事があり、18切符もあることですので鈍行で静岡駅へ。とにかく静岡は長い。病み上がり(痔)にはきつい旅でした。

静岡駅についての感想「めっちゃ都会やん!!」
東海地方の都会というと真っ先に浜松が思い浮かんでいましたがまさか静岡がこんな都会とは思わなかった。駅前の通りも多くのお店がたくさん立ち並んでおり活気があります。
駅前には少年時代の家康像もありました。

駿府城は駅前の通りから県庁に向かって15分ほど歩いて行きます。今は公園になっているそうです。

途中からお堀と石垣が見えてきます。
さらに歩いて行くと大手門跡が。

大手門入ってすぐにクイっと直角に通りが曲がります。一直線ではなく曲がらせることで敵の勢いを鈍らせこちらが反撃できるようにしているのでしょうか。


大手門を抜けると内堀へ。そこにはうんk…じゃなくてわさびの銅像が。ここはわさび漬け発祥の地らしいです。さすが静岡。


堀を横目に少し進むと駿府城跡公園へ。立派な石垣では鳩が休んでいました。かつては戦の拠点であった場所が平和と憩いの場となっている。良きことである。それにしてももっと休みやすいところで休めばいいのに。

かなり広い公園です。本丸と二の丸が公園として整備されており櫓も復元されています。

その中の一つの櫓がここ、坤櫓。ここで100名城スタンプも押すことができます。

中のガイドの方曰く、ここ駿府城はかつての今川氏館もあったのではとのことですが、何しろ決定的な証拠が出てきてるわけではないとのこと。発掘もそこまで深くは行っていないとのことでした。
ただ駿府城にあった四つ足御門は今川館と同じ四つ足御門のことではないかと考えられているようです。

広場の奥に行くと天守台発掘現場を見ることができます。
[
石垣も発掘されその構造も徐々に現れているようです。規模としては江戸城よりも大きな天守があったのではとも言われているようです。
にしてもこのような発掘現場は見ていていいものです。何か新しいものが出てくるのではというワクワク感と当時の状況を着物を剥ぎ取るように露わにしていくドキドキ感を味わえるような気がします。(と思ったけどそもそも着物を剥ぎ取った経験がなかった)

発掘現場を後にして東に進むと家康公の銅像が。

よっ!東照大権現!!と声をかけたくなるような凛々しさをたたえています。
ただ全体的に徳川色が強く今川家はほとんど取り上げられていない感じです。やはり大御所時代の駿府城だからでしょうかね。


東御門からお城を後にします。

ここでもお馴染み門のクランクが。やはり守りへの備へもきちんと施されています。

【まとめ】
平城でありながらもきちんと守りを考えた大御所の城らしい城でした。
石垣も地震等で倒壊したこともあるようですが積み直され往時の姿を今に伝えています。
天守も当時としては最高の大きさを誇っていたそうで天下泰平の象徴にふさわしいものだったそうです。

しかし今川時代の痕跡はあまり見つけることができませんでした。大河ドラマで脚光を浴びた今こそさらなる発見が増えてくれればと思います。


〜番外編〜

幕末、江戸城無血開城についての会見が幕臣山岡鉄舟、征討軍参謀西郷隆盛との間で行われた場所がすぐ近くにあります。この会見が拗れていたら、もしかしたら東京は戦場になっていたかもしれない。それくらい大切な会見であったのだとか。

そいえば今年の大河は西郷どん、幕末が舞台です。
今度は幕末ちゃんと勉強してみよう。

いい場所行こう鎌倉巡り

最近の教科書ではもう「いい国作ろう鎌倉幕府」ではないらしいんですよね。どうも「いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府」なんだとか。それよりももっと前から段階的に作られたと記述することもあるらしく鎌倉幕府に関する研究は今以て進行中らしいです。

ところで私、お正月にある映画を見に行きました。こちらです。
DESTINY 鎌倉ものがたり」より

黄泉の国に連れ去られた妻を助けにいく物語です。堺雅人がかっこいいし高畑充希はかわいいし主題歌もいい曲でしかもほっこりする映画で新年の幕開けにふさわしい映画でした。
そしてこの映画、舞台が鎌倉なんですね。しかも妖怪がわんさか出てくる。堺雅人が劇中、「ここは鎌倉だぜ?」とさも妖怪が当たり前に出てくる土地柄であることを言っていますが、まさしく鎌倉は武家の都であると同時に中世には血生臭い戦乱が繰り返されて来た土地でもあります。その表と裏の顔のあるところが鎌倉にたまらない魅力を与えているとも思います。

そこで今回は誰も行かないような(というか敢て行こうと思わない)鎌倉史跡巡りをしたいと思います。

ちなみに鎌倉が舞台になった映画がもう一つあります。
こちら。
シンゴジラ」より

そう、シンゴジラ
実は私、ゴジラの大ファンでして、この映画は多分23回ぐらい観に行きました。もうセリフは暗記しています。というかこのブログでもゴジラについて語りたいくらいです。
今回はこのシンゴジラ聖地巡礼も行なっていこうと思います。

10:52 東京発逗子行き

実は前日に例によって18きっぷで岡崎から東京に出ていまして、東京に泊まっていました。(来る途中に駿府城に行ったのですがその話はまた後日)
(そいえば痔が治りました。)

ただ寝坊をかましましてこんな時間の出発に。
最後の18きっぷを使っていざ鎌倉。

鎌倉駅に着いたら西側へ。大通りに出て右折してくてく歩いて行きます。

道中おしゃれなカフェだったり住宅地を通って行きます。途中こんなお寺が。

英勝寺というお寺です。この辺り一帯は扇ヶ谷と言われる土地で、江戸城を作り上げた名将、太田道灌の屋敷跡とされているところです。彼の主、上杉定正源頼朝のお父さん、義朝もこの辺りに屋敷を持っていたのだとか。

拝観料(300円)を支払い中へ。

鐘楼、山門と仏殿が江戸時代のもので、本尊の阿弥陀如来像は徳川家光の寄進なんだとか。というか仏殿の写真撮ってなかったごめんなさい。

竹林もありなかなか気持ちの良いお寺です。

さて、目的地はここではないのでまたてくてく歩いて行きます。横須賀線沿いを歩いていくと、こんなガード下が現れます。

ここ、実はこんな場所。

そう、鎌倉に上陸したゴジラが不気味に動いていくカットの場所です。こんなところにあったんですね。

このガード下をくぐって鶴岡八幡宮に向かって歩いて行きます。だいたい15分ちょっとくらい。

初詣の人がめちゃくちゃいる。さすが八幡宮
ただ今回はそんな初詣客を横に見つつさらに東へ。

どんどん進んでいくとこんなお寺が。

宝戒寺というお寺です。ここを右折していくとこんな石碑が。

土佐坊昌俊。頼朝の命令で源義経を襲撃した人です。襲撃は失敗に終わりますがこれが頼朝と義経の対立を決定づけます。そんなお方の屋敷跡がここにあったわけですね。

さらに進んでいくとこんな看板が。

次なる目的地はそう、北条高時の腹切りやぐらです。
北条高時という名を聞いたことある人はあまりいないのではないでしょうか?14代執権にして得宗9代目。鎌倉幕府最後の北条家当主です。
後醍醐天皇足利尊氏新田義貞鎌倉幕府倒幕に動き、鎌倉を攻めた新田義貞によって北条家の人々は自害に追い込まれました。この自害した場所が東勝寺という場所であり、その近くにあるのが腹切りやぐらです。
賑やかな通りから一転、一気に静かな路地を歩いて行きます。途中上り坂になっていきます。
そして原っぱが現れます。ここが東勝寺跡です。さらに登っていくと

北条高時の腹切りやぐらです。割とガチ目の心霊スポットでもあるらしく、ピクニック気分で訪れないようにという注意書きもありました。
この場所で800人以上の北条家、幕府方の人々が自害しました。一帯が静寂に包まれており諸行無常を感じざるをえません。ちなみに俳優の高倉健は北条家の末裔を称しており参拝していたのだとか。


ここで自害した人々の遺体は別の場所に埋葬されたそうで、人骨等が発掘されたそうです。
先程紹介した宝戒寺は、実はここで自害した北条家の人々を慰霊するために足利尊氏が建立したものです。

寺の幕には北条家の家紋である三つ鱗が描かれています。トライフォースではありません。

さて次なる目的地へ。宝戒寺前の道に沿って30分ほど歩いていきます。

杉本観音です。ここは鎌倉最古の寺と言われる杉本寺があります。階段を上っていくと本堂が。

実はここも兵火に巻き込まれています。
南北朝時代南朝方の北畠顕家北朝方の斯波家長をここで自害に追い込みました。この時北畠顕家は20歳、斯波家長は17歳であり、共に若年で大将として戦を行いました。ちなみにこの北畠顕家、公家出身でありながらめちゃくちゃ戦に強い人です。足利尊氏も彼には敵わず一度九州に追い落とされています。

このお寺のある山にはかつて杉本城があり、破れた斯波家長はこの寺の境内で自害したと言われています。境内横にはここで討ち死にした人々を弔うためと伝わる供養等が残っています。

さて次なる目的地へ向かいます。八幡宮方面に歩き北へ向かうと白旗神社があります。頼朝の墓があります。

近くには法華堂と呼ばれるお堂がかつてありましたがそこで鎌倉時代にある一族が滅亡しています。三浦一族です。

頼朝の平家討滅に大功がありながらも、北条家との権力闘争の末、宝治合戦で敗北した三浦一族が自害したやぐらがあるのです。
ちなみに鎌倉に多くあるやぐら、納骨堂だったり供養堂として作られたもので、今でこそ洞窟にしか見えず宅地開発等で潰されるものも多いですが建立当時は豪華な装飾が施されていたと言われています。

鎌倉というと大仏だったり鶴岡八幡宮、小町通など賑やかなものが連想されがちですが、少し横道に行くとこのような戦乱の跡が見つかります。まさに陽と陰兼ね備えた都市だと思います。

ここから鎌倉駅に再度戻ります。途中こんな建物が。

どう見てもカフェにしか見えない。(実際カフェらしい。)
机上で学ぶだけでなく実地でも学ぶことがあればそこはもはや大学のキャンパスなのです。

そして鎌倉駅から御成通りを歩きます。

実はここ、シンゴジラ聖地です。

こんな場所からゴジラの尻尾が振り回されたらと思うと…
逃げるより固まってしまいます。

さて鎌倉駅から江ノ電に乗って稲村ヶ崎へ向かいます。

稲村ヶ崎駅について海の方へ歩いていきます。
夕日がきれいで、眺めてるカップルがめちゃくちゃ多かったです。

そんな人たちに目もくれず海沿いに歩いて行くと…

新田義貞稲村ヶ崎に刀をポーンと投げて潮が引くことを祈った、という伝説の地に辿り着きます。ここから新田義貞は鎌倉に突入、先ほどの東勝寺で北条一族を滅亡に追い込みます。

そしてここは本日のシンゴジラ最後の聖地です。
ゴジラ新田義貞稲村ヶ崎から鎌倉に突入します。稲村ヶ崎は鎌倉の玄関口なんでしょうね。

【まとめ】
今回シンゴジラ聖地巡礼と鎌倉史跡巡りを同時敢行しました。鎌倉史跡についてはあまり恋人だったり家族とは行きたくないかなと思うような場所にばかり行きました。

多分今回行った場所に関係する人、北条高時斯波家長、三浦一族…おそらく知らない人の方が多いと思います。
大きな理由は彼らが敗者だから。

負けるからには負けるなりの理由があると思います。ただ彼らがただ無能だったのかというとそういうわけではないと思うのです。その場その場で最善と思われる手を打ち続けたものの時運に逆らえず滅ぼざるをえなかったのでないのでしょうか。
北条家は鎌倉の切り通しで反幕府軍相手に一歩も引かない戦いを行い、斯波家長は少数の兵で戦の天才北畠顕家相手に戦い抜き三浦一族も幕府軍相手に壮絶な抵抗を行ったそうです。

そのようなことは歴史の教科書にはまず書かれません。だからこそこうした史跡がある意味があると思うのです。

新年早々重めの史跡に行きましたが個人的にはなかなか趣深い旅行が出来ました。

そして改めてシンゴジラの偉大さ、面白さを感じることも出来ました。また映画館で観たい。というか最初の東京駅の写真もシンゴジラ聖地だわ。

妖怪たちが蠢く古都鎌倉、ぜひ足をお運びください。

18切符の旅の代償

18きっぷの旅、それは貧者のお財布に優しく、リーズナブルに移動ができること。日頃の忙しない日常から解放されてまるで時計がゆっくり進んでいるかのような感覚を得られることだと思う。

ゆっくり窓を見ながら移りゆく景色は一服の清涼剤ともなり得るものです。

しかしそれは同時に長時間座り続けなければいけないということも意味している。

電車で座れる。おそらく都会の雑踏に揉まれて通勤通学する紳士淑女からすれば夢のような言葉だろう。しかしこの「電車で座れる」というのがとんでもない災厄をもたらすこともある。

このブログを読んでくださった皆さまならご存知のように、筆者は年末に青春18きっぷで愛知から鹿児島まで行った。総計30時間にも及ぶ時間を車内で過ごし、田舎のローカル線の恩恵を授かってほぼ全ての区間で座っていた。

おそらくこれがいけなかった

実家に帰ってからというもの、お尻がクソ痛くなったのである。

最初はトイレで踏ん張りすぎたのかなと思っていたがそれが原因にしては痛すぎる。

ネットの海をさまよい溢れ出る情報を掻き分けながら進むとそこにはたった1つの文字「痔」という言葉が絶望という名のゴールふさわしく待ち構えていた。

意を決して家族に打ち明けたところ、「あー、それ痔だよ笑」
なんともあっけらかんと言われたものの、僕にとって痔とは大事である。正直年取ってからなるものだと思っていた。クレヨンしんちゃんの野原ひろしが確か痔で入院したことがあったが少なくとも30超えるまではならないものだと思っていた。

それが今はこのザマである。

とにかく薬をと思って薬局に行くと勧められたはあの「ボラギノール
「痔っに〜はボラギノ〜ル♪」と妙に耳に馴染む旋律で子供の頃口ずさむこともあったがまさかそのボラギノールのお世話になる日が来るとは。人の世とはなんとも予期できないものである。

ただ痔が日常生活に及ぼす影響は甚大である。まず日々のデスクワークで座っているのがつらい。当然通勤のチャリンコに座ってるのもつらい、というか振動がダイレクトに伝わって耐えられない。

そして何より電車に長時間座れない。

これは青春18きっぷをこよなく愛するものとして致命的な事態だ。城巡りにも行けないのである。

一体僕が何をしたと言うのか、日々を勤労に捧げていると言うのにどこでこんな業を背負うことになったのか…

と嘆いていても仕方ないのでまずは完治を目指します。痔にはしっかりとした休養とお尻をしっかり温めることが大切なんだとか。これを信じてしっかりお尻を温めたいと思います。

ということで18きっぷの旅を計画する老若男女、デスクワークに奉仕する社畜のみなさん、くれぐれも座りすぎには注意しましょう。

18切符で九州へ(2日目夜から3日目)

皆さん明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

ということで九州旅行記が完結する前に年が変わってしまいました。この九州城巡りが2017年城巡り納めとなったわけです。

前回は鹿児島中央駅に着いたところで終わりましたが、到着後早速市内の散策に繰り出しました。

とりあえずご飯を食べるために鹿児島一の繁華街と言われる天文館へ市電に乗って行きます。市電が通ってる街っていいなと個人的に思っています。
途中かごっま屋台村という観光客向けの飲み屋街があり惹かれるものがありましたがあまりにもリア充臭が漂っていて危うく窒息死しかけたのでもっとぼっちスキルを身につけてからきたいと思います。

天文館から鹿児島中央駅に向かって歩いて行くのですが、地図で見てみるとこんな感じ。

見にくいですが、そこかしこに維新の立役者に関する石碑や銅像があるみたいです。
特に維新ふるさとロードというのが目を引きますのでそこを通って行きたいと思います。

てくてく歩いて行くと高校の近くにこんな石碑が。
日露戦争で活躍した東郷平八郎の誕生地が。
そしてその近くには

大山巌の誕生碑が。この辺り一帯は加治屋町と呼ばれ、下級藩士が住んでいた地区らしく維新の立役者をたくさん輩出した地区なんだそうです。

維新の風を感じながら歩いて行くと維新ふるさとロードの入り口が見えてきます。

そしてその反対側には太平洋戦争で沖縄戦を指揮した牛島満大将の生い立ちの碑もあります。

維新ふるさとロードは幕末の薩摩藩がどのような立ち位置にいたのか解説をしてくれるパネルが多くあります。
当時の地図や屋敷も展示されていました。さらにこの道沿いには
大久保利通生誕地の碑があります。
本当に幕末の偉人がわんさかいますね。感激です。
維新の風を感じとれる維新ふるさとロード、おススメです。街歩きをするだけでいろんな記念碑が建っており当時の面影を想像しながら歩くことができます。


そして翌朝、正真正銘の3日目、鶴丸城と城山に向かいます。

市電で市役所前まで行って歩くこと5分くらい、
鶴丸城が見えてきます。

途中には垂水島津家の屋敷跡もあります


鶴丸城は関ヶ原合戦後、島津忠恒が築城しました。石垣や堀、本丸にかかる橋が現存しています。
すぐ近くには西郷隆盛が作った私学校跡もあります。石垣には西南戦争でできた弾痕らしきものまであります

鶴丸城の背後に山がそびえていますが、これが城山。かつては上山城という名前のお城があったのだとか。そしてこの城山こそが西郷隆盛最期の地となります。車道に沿って山を登って行くと西郷隆盛が潜んでいた洞窟があります。

すぐ近くには西郷どんの銅像

ここから西郷隆盛は最期の戦いを挑んでいくわけです。

せっかくなので山頂の展望台まで歩いて行きます。山の中を歩きましたが舗装されていて登りやすかったです。

展望台からは桜島を拝むことができます。靄がかってますが…
そして山頂の主もいました。

なぜか史跡には必ずと言っていいほど猫がいます。僕も史跡か女子大に住む猫になりたい。にゃーん

鹿児島を一望したら下山開始。城山が自然公園としての面もあるのでいろんな植物を見ることができます。

そして麓には西郷隆盛最期の地があります。この場所で切腹しました。

静かな住宅街の中にありました。地元の人もちらほら訪れていました。

城山観光も終え、栃木への帰途につくべく駅へ向かいます。

途中、西郷隆盛小松帯刀銅像もありました。
上野の西郷隆盛銅像よりもこっちの方がカッコよく見えます。

西郷隆盛大河ドラマとなるだけあって街全体が明治維新を伝えていこう、郷土の英雄を伝えていこうという気持ちを持っているのだと感じることが出来ました。駅ビルの本屋さんでは大河本をこんな感じに積み上げており熱意をひしひしと感じました。

さて、鹿児島中央駅から栃木まで帰ります。新幹線の値段は31000円。クッソ高い。18切符なら4000円分で愛知から来れることを考えると破格の値段ですが速さには代えられない。

九州新幹線は初めて乗りましたがトンネルが多くて正直退屈でした。ただ九州自体が楽しい場所で見どころが多く、まだ行ったことない長崎や大分も行ってみたいと思えました。

【まとめ】
僕の好きなブログ
https://travel.spot-app.jp/seisyun18kippu_ekimemo/
で作者が「18切符の旅のいいところは日常の切り取り、突如その地域の日常に放り込まれるところ」と言っています。
これは僕もすごく共感することで、今回の旅行ではいろんな人を見て、いろんな場所を見ることができました。
特に今回は帰省時期に当たったこともあり、地元の話を楽しそうにしてるカップルだったり旧友に会っている人を見かけることができ、改めて地元、帰る場所があるとはいいことだなと思いました。

今回の旅行では1日目15時間、2日目9時間、3日目8時間と30時間以上電車に揺られていました。
途中大海原を見たり工場地帯を見たり、山々を見たりと、この街はどうやって成り立っているのか、そこに住む人はどんな暮らしをしているのか、その中でこの駅はどんな役割を今まで果たしてきたのだろうか、そしてこの街にはどんな歴史があり、どんな史跡があるのか…と様々なことを考えることができました。これもゆっくり景色を見ながら旅行ができる鈍行の旅ならではのことだと思います。

今回は福岡、熊本、鹿児島の3県を回りましたが、次は佐賀、長崎、大分、そして18キッパー泣かせの宮崎県佐伯延岡間にチャレンジしたいと思います。お金たくさん貯めて温泉に浸かりつつ…


おわり

18切符で九州へ(2日目)

ということで18切符の旅2日目です。

1日目は博多についてラーメンを食べただけで終わったので今日は観光もちょいちょいしていこうと思います。そして鹿児島まで進んで行きます。

福岡といえばあの城があります。そうです福岡城
2014年の大河ドラマ「軍師 官兵衛」で主人公となった黒田官兵衛とその息子、長政ゆかりのお城です。官兵衛を演じたのは岡田准一さん。宮崎あおいファンの僕としては結婚報道が流れた時は無期限の物忌み引きこもりとそれに伴う有給申請を行おうかと思いつめましたね。すんでのところで留まりました。

福岡城は黒田家の本城として築かれました。ちなみに「福岡」という地名は黒田家発祥の地、備前国岡山県)福岡から取ったものです。

地下鉄赤坂駅を下りますとお堀が出迎えてくれます。堀沿いに歩くと古代の迎賓館、鴻臚館跡入り口があります。
そしてその入り口にはこんな看板が。

なんとお城のイルミネーションをしてるそうです。丸い置物をこんなにピカピカ光らせてさぞかし綺麗なんでしょう。
そんな光景に想いを馳せながらてくてく坂を登って行くと鴻臚館跡があります。

ただの原っぱですが昔はここに大きな建物があって外交の中心となっていたそうです。

さらにてくてく歩くと二ノ丸へ。
途中で祈念櫓を拝むことができます。

二ノ丸到着。結構な広さがあります。
イルミネーションで神々しい輝きを放ったであろう丸い置物がたくさん置いてありますが昼間に見るとゴジラの卵が落ちているようにしか見えません。

そしてついに本丸へ。
見事な石垣を横目に登って行きます。


天守台の礎石を見ることができます。今はありませんがかつては天守台に何か建物があったということでしょうか。

天守台から見る福岡の街並み。大都会です。
でもやっぱゴジラの卵が落ちてるようにしか見えない。

福岡城は学生時代に1度訪れているので今回はその時あまり見れなかった場所に行くことができました。

そして次なる目的地へ。再度地下鉄に乗って下山門という駅を目指します。ちょうど電車が来たので慌てて飛び乗ります。

ところがいくら乗れども目的地に着かない。何かおかしいと思って駅を調べて見ると完全に反対方向の電車に乗ってました。なんたることか。

気を取り直して今度こそ正しい方向の電車へ。皆さん電車に乗るときはちゃんと番線を確認しましょう。

そして今度こそ下山門駅に到着。
海岸に向かって歩いて行きます。「生の松原地区」と呼ばれる森を通り抜けて海岸に出ます。
まさに大海原。なんか猫の額のように小さい心が少し大きくなるような気がしてきます。

そしてこの海岸にはなんとこれがあるのです。

そう、元寇の防塁跡。弘安の役で攻め込んできた元の軍勢を鎌倉武士たちはこの地で防ぎました。これも立派な史跡、城跡です。
海沿いに200メートルくらい歩いて行くと…

現れました。まさに兵どもが夢の跡といった趣です。この防塁が20キロに渡って築かれました。鎌倉時代の建造物がこうして残ってるのはなかなか感動ものです。

この防塁が築かれる前に行われた文永の役では、今の福岡城がある地まで元に占領されるなど激戦が行われましたが、この防塁のおかげで防ぐことができました。

ここまで福岡市内のお城史跡を堪能できました。都会の中にもいろんな史跡があって街歩きすると面白いだろうなぁと思いました。

いよいよ鹿児島目指して電車でGOをしていきます。

11:44 博多駅発荒尾行

乗った電車が快速だったので思いっきり通り過ぎましたが、途中「水城」という城があります。古代に大陸からの侵略に備えて作られたものです。
車窓からパシャり。森みたいになっているのが水城です。今度はちゃんと下りて見たいですね。あと太宰府も。

12:50大牟田発八代行

途中熊本を通ります。くまモン帝国。
そして帝国の本拠地熊本城もあります。地震で石垣が崩れるなど大きな被害を受けましたが、復旧が終わったらその雄姿を拝もうと思っているので今回は立ち寄りませんでした。

14:40 八代発人吉行



貴族の電車と思うような観光列車も停まっていました。こんな電車に乗って優雅に九州旅行できる身分になりたい…

お祭りの宣伝が工場にデカデカと描かれていました。

ここからはただひたすら球磨川沿いを走って行きます。

15:53 人吉着
ここで約80分の待ち時間が。ということは観光するしかない。
この人吉は温泉も多く絶好の体力回復ポイント、チャンピオンロードを抜けた先のポケモンセンターのような場所ですが駅前にはこんな建物が。

時計台ではありますがこんなデザインにするということは絶対近くに城がある。間違いない。
実際人吉城という、100名城にも指定されてるお城があります。

早速駅でレンタサイクルして人吉城を目指します。
自転車を漕ぐこと10分、お城が見えてきました。

大手門後の先に市役所、そして歴史館があります。100名城スタンプはここにある!
勇んで歴史館に行くとこんな文字が
『12/29〜1/3までスタンプは市役所別館に設置しています。』
なんとスタンプはここにはない。まずはスタンプを押すために市役所別館へ、幸いあまり離れていなかったのでまた自転車を漕いで行きます。

そして途中こんな建物を発見。

なんと西南戦争西郷隆盛が宿泊した武家屋敷が!完全にリサーチ不足でしたがここ人吉は西南戦争の戦地ともなりました。すぐ近くの永国寺には薩摩軍の本営も置かれていました。

100名城スタンプの場所が変わっていなければこんな発見できませんでした。移動させた歴史館の人に感謝感激雨嵐。

無事スタンプを押して再度人吉城


立派な石垣です。武者返しも付いている、難攻不落感が漂っています。
ない体力を振り絞って登って行きます。


二ノ丸から夕日を拝めました。
人吉の街並みも一望できました。

なかなかの城攻めですが立派な石垣、眺めが観れてお腹がいっぱいになりました。

列車の発車時刻も迫っているので大急ぎで駅に戻ります。今度はゆっくり温泉に入りたい…

17:09 人吉発吉松着

この人吉から吉松の区間スイッチバックあり、日本三大車窓ありとイベント盛りだくさんの区間になります。
スイッチバック箱根登山鉄道でしか乗ったことがないのでテンション上がりましたね。

ただ車窓については…冬で日が暮れるのが早いことをすっかり忘れていました。
日が暮れては景色もクソもあったものではない。

途中の矢岳駅付近がいい眺めらしいですがそこに着く頃には外は漆黒の闇。次この電車に乗るときは昼間に乗ろうと心に決めました。

18:28 吉松発隼人行

吉松駅では15分ほど待ち時間があり外で展示されてるSLを見ていました。駅前温泉もあるのですが待ち時間15分では断念せざるを得ませんでした。

日が暮れ切ってもう外は暗黒世界。本読んだりツイッター見ながら過ごして隼人駅

19:41 隼人駅鹿児島中央駅

いつのまにか鹿児島県に入っていました。そして鹿児島中央駅が見えてきました。

この電車は鹿児島湾に沿って走るので昼間は桜島も観れる絶景列車なのですがもちろん外はダークナイト。今度18切符の旅をするときは鹿児島スタートにしたいくらいです。

外の桜島を思い浮かべながら車窓を眺めつつ、電車は鹿児島中央駅に滑り込みました。

ついに鹿児島まで来ました。人生初の鹿児島。島津家、幕末の志士、黒豚、鹿児島ラーメン、いも焼酎…もう垂涎モノです。


例によって鹿児島中央駅もイルミネーションが。福岡駅といい九州の駅はイルミネーションの豪華さで競ってるのでしょうか?
各都市のイルミネーション関ヶ原合戦を横目に宿泊ホテルへ。

実はこの後鹿児島の街に繰り出しましたが、その内容は3日目と一緒に書きたいと思います。

【まとめ】

1日目ほどではないにせよ結構電車に乗りました。ただ史跡をいろいろ観れたのはこの上ない収穫でした。今回は肥薩線に乗りましたが次は肥薩おれんじ鉄道に乗って観たいです。
あと、景色が良いといわれる電車は昼間に乗りましょう

18切符で九州へ(1日目)

ということではじめてブログを書きます。栃木出身愛知在住の社会人です。なんかツイッターよりも緊張感が半端ない…

社会人になって早8ヶ月、そろそろ仕事ができるようになったかと思えばそうでもなく、出社と帰宅を繰り返してたらいつのまにかこんなに日が経っていたという感じです。学生時代よりも成長したのかなと思えばそういう感覚もない。
ただ社会人になって、突発的に旅行に行きたくなることが増えて、そしてそれを可能にするお金が貰えて外に出ることが明らかに増えました。もともと城好きでいろんな城に行くことができるようになったのは嬉しい限りです。

というわけで年末年始休暇を利用して九州に行くことにしました。18切符も発売されてるし来年の大河は西郷どんなので行くにはいい機会です

5:18 岡崎駅

最寄りは名鉄東岡崎駅なのですが、18切符が使えないのでJRの駅まで歩いて行きました。朝4時に起きて1時間も歩く、多分これが1番辛かった…

始発だしまだ誰も乗ってないだろうと思ったら意外や意外、そこそこの人が乗っていてびっくり。スーツケース持ってる人が多かったので年末で帰省する人でしょうかね。 僕みたいに18切符で九州まで行こうという頭おかしい人ではないと思います。

この電車で大垣へ

6:52 大垣駅
すいません。写真はありません。ブログ書こうとは思ってなかったので写真をあまり撮ってないのです。

ここ大垣駅では次の乗り換えまで3分。乗り換えで大垣ダッシュなるものが行われると聞いたことがあるのですが比較的平穏に乗り換えることができました。でも朝ごはんを買おうと思ってたけど買えなかった…

7:27 米原駅
乗り換え2分。僕の朝ごはん…

途中の明石駅明石城が拝めました

10:07 姫路駅
乗り換え2分。姫路城が遠目に見えました。
接続が良すぎて感激してるけどここまで良くしなくてもいいと思う。多分ご飯買えなくて泣いてる18キッパーは僕だけではないはず。

10:28 相生駅
乗り換え2分

11:47 岡山駅
ここで奇跡の乗り換え7分というボーナスステージ。コンビニに駆け込みおにぎりと今後の空腹に備えて非常食を購入

12:51 福山駅
福山城が駅の目の前にあります。こんな感じの立派なお城(以前撮った)

13:23 糸崎駅
広島を横断する長距離の旅。海沿いを走る眺めの良い列車だった。

15:38 岩国駅
ここから下関まで一気に進む
この時点で10時間くらい電車に乗っていて腰が痛くなってきた。ただ座ってるだけでも疲れるのは仕事も電車も同じだった。

ひたすら瀬戸内を眺める旅。途中立派な工場地帯もあって迫力があった。海と駅舎と工場or港の組み合わせって個人的に見応えがあってめちゃくちゃ好きなんです。

18:58 下関

本州脱出の一歩となる下関に到着
電車で本州を離れるのは初めてなのでドキドキ
しました。まぁほとんどトンネルなので景色は何も見れないんですけど。

19:29 小倉駅
ついに九州に上陸。小倉で乗り換えて1日目最終駅の博多へ

20:41 博多駅到着


ついに博多駅まで来ました。ここで宿を取って1日目は終わり。

福岡は修羅の国と聞いていましたが何事もなく到着できてホッとしました。駅前はきらびやかなイルミネーションが施されていて幸せそうなカップルが写真をたくさん撮っていました。そんな彼らから幸せな空気をおすそ分けしてもらい博多ラーメンを腹に納めに行きます。

【まとめ】
総所要時間は15時間以上。なかなか乗り換えがハードでしたが楽しい旅でした。
ただ城攻め日記と銘打ってるのにほとんど城に行っていない…そして己の文書力が割とアレなのを再確認できたのでうまい文章が書けるようになりたいですね。
18切符で東海道線山陽本線を乗る人はご飯の準備をお忘れなく。

2日目はお城たくさん行きます