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気象神社

どうも

気象神社に行ってきました。

というのも加入してる社会人のピアノサークルの秋発表会が毎回台風により順延、中止に追い込まれておりさすがに神頼みが必要だなって思ったからです。


場所は高円寺駅のすぐ近く。
氷川神社の境内にあります。

氷川神社の社歴はいくつか説があるようですが、一番古くて鎌倉時代のようですね。
頼朝や彼の家臣安達氏とも縁があるようです。

この氷川神社のすぐ横に気象神社があります。



祀られているのは八意志兼命
岩戸に隠れた天照大御神を外に出すために知恵を授けた神として知られています。知恵の神なのに天気も司らされているようですね。多忙です。

陸軍気象部の構内に1944年に造営されましたが空襲で焼失したあと今の場所に移築されました。陸軍気象部も高円寺にあったようです。

当時の職員はこの神社に予報の的中を祈願したのだとか。

前後GHQ神道廃止で撤去される予定でしたがまさかのGHQのチェック漏れで残り今に至っているようです。GHQも良い間違いをしてくれました。


境内には好天を願う老若男女が絵馬を奉納しています。
絵馬の形は下駄の形をしているのですが、これは「あーした天気になーれ!」っていうおなじみの遊びにかけたものなのだとか。

ということでこの気象神社、もし晴れて欲しい行事等控えてる方は是非行ってみてください

吉良邸

どうも

先日両国に行く用事があったのでついでに周辺の史跡巡りをしてきました。

まずはじめに訪れたのがこちら、回向院
正門が絶賛工事中でした。
この回向院は1657年に起きた明暦の大火で亡くなった方々を葬った万人塚が始まりです。

その後、人、その他の動物を区別なく弔うという方針になりさまざまな動物が供養されています。


回向院で弔われている著名人や文化人の説明、さらには海難事故に遭い犠牲になった人たちを紹介する案内板が建てられています。

こちらはペットを始めとする動物達の供養塔です。かなり迫力のある塔です。


傍らには石碑による供養塔が立ち並んでます。
厳粛な空気が漂っています。

ちなみに回向院の隣にはこんな建物があったようです

そうです国技館です!

回向院で天保年間に相撲が行われていたようです。

この回向院から東に歩いて行くととあるお方の屋敷跡があります。

それがこちら

吉良邸跡です!
吉良と書いてキラと読みます。デスノートの奴ではありません。

ここは毎年年末になると大型時代劇の題材になる忠臣蔵の討ち入り舞台となっています。

1701年に赤穂藩主、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城松の廊下において吉良上野介に突如斬りかかります。
一説によると浅野内匠頭が恨みを吉良に対して抱いていたと言われていますが諸説あります。

この時、吉良上野介が刀を抜かなかったため浅野による一方的な犯行となり喧嘩両成敗法が適用されませんでした。

また、この斬りつけた日が朝廷からの勅使を歓待する日に当たっていたため時の将軍徳川綱吉は浅野に対し即日切腹を言い渡します。

しかしこれに納得しないのが浅野家家臣達。

吉良も当然なんらかの処罰が降るべきと思っていたのにお咎めなしとされたからです。

その後、赤穂藩は改易、家臣達も浪人となります。唯一の望みは内匠頭の弟が家を継ぐことでしたがその弟も蟄居を命じられてしまったためお家再興の動きが封じられてしまいました。

ここにいたり、赤穂浪士側では仇討ちを行う機運が高まっていきます。赤穂藩家老、大石内蔵助がなんとか浪士の決起を抑えていましたが、この蟄居をきっかけに討ち入りを決定しました。

神文返しをはじめとした、討ち入りメンバーを決める活動がここから始まっていきます。

そして1703年12月14日、ついに吉良邸に討ち入ります。


吉良邸の案内板です。


赤穂事件を伝える碑文と上野介の像です。


境内には松坂稲荷という神社があります。
徳川家康が関東に国替えになった際にこの地に兼春稲荷を作ったもので、のちに上野稲荷と合祀されて今の形になりました。


屋敷跡から少し歩くと正門跡の案内板があります
そして首洗いの井戸

討ち入りは赤穂浪士側の完全勝利となり、ドラマで見られるように吉良上野介は首を取られ、泉岳寺に眠る浅野内匠頭の墓前に供えられます。

この討ち入りは幕府内でも侃侃諤諤の論争が行われ、赤穂浪士への処罰が降ります。

それが切腹

徒党を組んで押し入り行為を働いた、というのが理由ですが当時の世情を鑑みて名誉が守られる切腹が選ばれました。(当時浪士側に同情する意見が数多くあったようです)

赤穂浪士はそれぞれの大名家に預けられ切腹することになります。
各大名家でもこの行為が賞賛され高待遇を受けたことが伝わっています。

さて、討たれた側の吉良上野介ですが、子供の吉良義周に対して信濃高島藩にお預けという命令が降り、20歳で死去したため吉良家は断絶し、別家が今に伝わっています。

この吉良上野介、後世すこぶる評判が悪く、当時から他の人からも恨みを買っていたという話があります。さらに自分の領地では善政を敷いたため名君と呼ばれていた、とこれまで言われていましたが最近はそれすらも見直しが入っているようでありいよいよ可哀想に思えてきます。さらなる評価や研究の進展が望まれます。

(そういえば以前、泉岳寺に行った記事書いてましたね)

東京お散歩2 - お城旅行記


この吉良邸から徒歩数分のところにこんな公園があります。


勝海舟生誕の地です!

勝海舟といえば知らない人がいないくらい有名な幕末の幕臣です。彼が生まれた場所、両国だったんですね。






公園内には彼の事績を伝える碑文やパネルが多数展示されてます。

幕末や海舟が好きな人は是非訪れてください!!

丸亀城・下灘駅・岡山城

どうも

突然ですが、海が見たくなりまして、見に行きました。それも瀬戸内。

毎年夏休みの時期に発売される魔の切符青春18切符を握りしめて…


まぁ端的に言うと、転職した会社は固定された夏休みがなく、自由に連休が取れるので暇を持て余していたのでパーっと遠くに行こうと思ったわけであります。

東京から一日で四国まで行こうとすると始発クラスの電車に乗る必要があります。
まだ日も上らぬうちに新宿駅

ここから東海道線等をただひたすら西へ西へ乗り継いで行きます。

さて、ここで注意点ですが、絶対に昼ご飯は事前に用意して行きましょう

なぜかって?
東海道線をただひたすら西へ行く余裕のない旅程を組むと、一度の乗り継ぎミスが甚大な被害を及ぼすことがあります。

しかもこの東海道線JR東海の恐るべきダイヤ作成能力により各電車の平均乗り換え時間が圧倒的に短いのです。1分2分とかの世界です。
これではコンビニに駆け込むことすらままなりません。

なので絶対に昼ご飯は用意して行きましょう


始発で東京を出ると、朝ぼらけの中湘南の海を拝むことが出来ます。

愛知県に入って見つけた企業。天下を取りそうな名前です。

淡々と語ってますが愛知に来るまでに地獄の静岡横断をしています。ずっと寝てました。


岐阜、滋賀、京都、大阪を通って兵庫県

明石駅からは明石城を拝むことができます。

いずれこのブログでも紹介したいです。


車内で見つけた広告。
あ、地方のローカル線に乗ると往々にしてトイレが付いてない電車があります。そんな時に備えてお腹に自信のない人は正露丸は持って行きましょう。


姫路駅からは遠目ですが世界遺産にもなっている姫路城を拝むことができます

姫路城もいずれ紹介したいです


やっとこさ岡山駅へ。

ところで、東急目黒線に「大岡山駅」という名前の駅があります。「大」とついている以上全ての岡山と名のつく者の代表のような名前をしていますが圧倒的に岡山駅の方が大きかったです。むしろ岡山駅大岡山駅にし、大岡山駅は小岡山駅くらいに格下げするべきなのではと思いました。


ここから瀬戸大橋線で瀬戸内を渡ります。







車窓からパシャパシャ写真を撮る怪しいおじさんごっこしていましたが本当に絶景です。この素晴らしい景色を伝えるにはスマホの画素が少なすぎる。

写真を撮りまくっていたらあっという間に香川県坂出駅へ。

この駅舎からとある山を見ることができます。


幼稚園児に「山を描いて」と言ったら100人中98人が描きそうな形の山です。ザ ベスト オブ 山と言ってもいいくらいの理想的な山です。

調べたところこれは「讃岐富士」の異名を持つ飯野山という山なのだそうです。

ここから本日の目的地丸亀までは二駅。


ということで丸亀駅
ここまでざっと13時間くらいです。長かった。


駅前ではお祭りをやっていました。
ここから丸亀城までは歩いて15分くらいです。


ところで丸亀城ですが、現存12天守の一つであり、日本の城郭で最も全ての石垣な高さが高いことで知られています。(単体としては大阪城が一位)
建っている天守も実際は櫓であり、現存しているものの中では最も小さいものです。

元々は1597年に高松に移封された生駒氏高松城の支城として築城したものですが、生駒氏がお家騒動で転封され、1641年に山崎氏丸亀藩を立藩します。

その後城は整備され今の形になりました。


遠目から見てもかなり高い位置にまで石垣が組まれています。

夜景も綺麗です。
周りもカップルばかりで地元のデートスポットでもあることが伺えます。

え、僕?

もちろん自爆したい気持ちを抑えながら眺めてましたよ、えぇ。

丸亀城はライトアップされるお城らしく、夜空に雄々しく照らし出されていました。

石垣もライトアップ。反りといい高さといいカッコ良さの極みです。

ライトアップ亀山城
要塞感がハンパないです。

さて、丸亀城を拝んだところで今日のご飯へ
朝から乗り換えマジックにより何も食べれなかったのでお腹ペコペコです。

実は事前にうどん屋さんをリサーチしていたので駅の方へ
駅近にうどん屋があるとはさすが丸亀!
と勇んで行きました。待ってろうどん!

なんか全体的に暗い雰囲気の店なのかな??大人っぽい雰囲気かな?
と思って近づいて見たら張り紙が。

「本日の営業時間 11:00〜15:00」

は?え??今何時??

スマホ「21:00」

まじかよ終わってんじゃん
しかも圧倒的に遅刻やん


ポケモンで自分が負けた時の「めのまえが まっくらに なった!」を肌で感じました。
まさかここまで時間が短いことを想定していなかった…

仕方なくうどん求めて商店街へ
しかし時間も時間なため見事なシャッター通り。完全なるうどん難民となりました。

途中見つけたお寺の石碑
一隅ではなく入れるうどん屋を照らしてくれ

そう思いながら放浪していたら偶然食事処を発見!
メニューにもうどんが書いてある!

勇んで入ったところ
「生憎今日はうどんが売り切れて…そばならあります」

もうこれ以上放浪する元気がなかったのでそばを頼みました。


そばです。朝飯兼昼飯兼夜飯です。
でもうどんが諦めきれなかったので「これはうどん…これはうどん…」と念じながら食べました

うどん、美味しかったです。

〜翌日〜

気を取り直してこの日は下灘駅を目指します。
大体行って帰ってで12時間くらいです。




海が見える路線はいいものです。瀬戸内の海を眺めながら電車に揺られているとある島が目に入ります。



実はこの島、城なんです
怪島城という水軍城で、来島城主、村上通康の家臣、神野左馬允が城主を務めていました。
1585年に毛利家に服属した際にこの島は放棄されましたが、以後誰も住み着くことなく、無人島として放置されていたため極めてよく遺構が残っているらしいです。

そんな海を眺めつつ電車は松山駅


松山といえば、司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」に出てくる秋山好古、真之兄弟、正岡子規の出生地であるとともに、現存天守の一つである松山城があります。

乗り換え時間の都合上遠目でしか見れませんでしたが、山全体がお城になっており非常に迫力があります。

ここも以前にも訪れたことがあるのでそのうちブログで紹介します。

松山駅には正岡子規の句碑も。
かなりの都会です。

松山駅から1時間ほど電車で揺られてやっと下灘駅




海の見える駅ということでインスタ映えスポットとしても名高い下灘駅青春18切符のポスターにも何度か使われています。

この駅を撮るために多くの観光客がこの駅で降ります。さて、駅で海を眺めながらすることと言ったらただ一つ


そう、酒!!

いやぁ人生の夢だったんですよ。"海を眺めウミユリ海底譚とSummerを聴きながらストロングゼロを飲む"
っていう行いをすることが。

昼間から酒。もう背徳感満載ですよ。周りから見たら変人にしか見えないけど。

ちなみに駅の周りにコンビニはないので松山駅でお酒は買いましょう。

こんな至福の時間も30分ほどで帰りの電車がやってきて終わりを迎えます。

ここから四国を出て岡山へ帰ります。


遠目ですが、予讃線の車窓から天守閣が見えました。川之江というお城で交通の要衝にあった重要なお城だったようです。ここはまだ行ったことがないのでいずれ行きたいです。


そんなこんなで岡山駅へ。もうすっかり夜です。

岡山といえば岡山城と後楽園
8月中は夜でも開いているらしいので早速向かいます。

岡山駅前で市電に乗って「城下駅」へ。

絶賛ライトアップ中の岡山城インスタ映えはこのことかと思いました。




すぐ近くにある後楽園も光の庭となっていました。ため息しか出ない綺麗さでした。


ところで夜は光り輝く岡山城ですが昼間は真っ黒な漆黒の天守閣です。
そのため別名を「烏城」と言います。
元々は「石山城」と呼ばれる城がこの地にありましたが戦国時代にこの地方で勢力を伸ばした梟雄宇喜多直家がこの城に入り本拠として整備します。
彼の跡を継いだ宇喜多秀家が石山城を取り囲む形で大城郭を築き今の地に岡山城が建ちます。

宇喜多秀家関ヶ原で敗北して八丈島流罪にされると、関ヶ原での裏切りで有名な小早川秀秋が入城しさらに城の整備を進めます。しかし秀秋も若年で病死したため、姫路城を築いたことで有名な池田輝政の次男、池田忠継岡山藩主として岡山城に入ります。

その後池田綱政大名庭園として名高い後楽園を作り上げます。一説によると、城の防備が手薄だった場所に庭園を作ることで防衛できるようにした、という話もあります。





ライトアップ岡山城
石垣も天守も美しいです。
ちなみに天守閣の中は博物館となっています。
8月いっぱいは天守のライトアップイベントが広場で開催されています。

さて、城も堪能したので朝飯兼昼飯兼夜飯を食べます。

宿の近くの居酒屋になだれ込みチョイスしたのはこちら

そう、うどん。
まさに丸亀の仇を岡山で討つ。
ハイボールと一緒に食べるうどん、めちゃくちゃ美味しかったです。


そんなこんなで海を眺める旅が無事終わりました。

東京に帰るまでの時間を含めると総鉄道乗車時間が36時間を超えます。1日の半分を車内で過ごしている感じです。

それでも車窓からいろんなお城が見えたり賑やかな港町を眺めることができたのでとてもいい旅になりました。

次は鴨川沿いをビール片手に散歩するやつをやりたいです

おわり

高幡城跡

どうも

高幡不動に行ってまいりました

京王線で新宿からそこまで時間をかけずに行けるようです。
駅舎も立派でした。



駅を出てすぐに商店街の入り口があり、その先に山門らしきものが見えます。



案内板によると、室町時代に建てられその後何度か補修工事がなされているみたいです。

ちなみに高幡不動ですが正式には金剛寺という名前なんだそうです。奈良時代行基による開基とも言われていますが、お寺のHPでは、「平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によってこの地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王をご安置したのに始まる。」と書いています。



境内では新撰組副長の土方歳三銅像、さらに局長の近藤勇との顕彰碑があります。2人とも多摩地方の出身であり、さらに高幡不動は土方の菩提寺でもあるのです。

大きな本堂もありました。



本堂の裏手には「上杉憲顕の墳」と書かれた上杉堂があります。

この上杉憲顕ですが、父は上杉禅秀という人です。
1416年に鎌倉公方足利持氏に反乱を起こし、のちに上杉禅秀の乱と呼ばれる事件を起こします。

乱を起こした原因は禅秀が鎌倉公方を持氏からから彼らの親族である足利満隆、持仲らに継がせ実権を握ろうとした、ということが言われています。

しかし結局この乱は失敗し、上杉禅秀は戦死、憲顕も父と一緒に反乱を起こしましたが、途中病にかかり戦線から外れたため死なずに済みました。

その後、足利持氏は幕府に反乱を起こして戦死、この成氏が跡を継ぎますが、この成氏が彼の補佐役である上杉憲忠を暗殺したため鎌倉公方足利成氏関東管領上杉氏の戦いが起きます(享徳の乱
憲顕は上杉方として足利成氏と戦いますが1455年に立河原の戦いで敗北し、この高幡不動まで逃げてそこで自刃します。
このお堂はその時の墓になります。


境内にはさらに五重塔もあります。


この高幡不動の裏手にある山に、高幡城があります。


山道沿いには四国八十八霊場に見立てて88個のお地蔵様が安置されています。

舐めていましたがそれなりに階段、山道を登って行くことになります。
夏なので蜂とかがいそうでビクビクしながら登りました。

29番からさらに階段を上ると広場に出ます



この広場が高幡城の本丸跡と呼ばれています

眺めはめちゃくちゃいいです

ただ虫が多いですね
別の登り口にはきちんと看板が立ってました。
登山用の道が整備されていることもあり、結構遺構とかは消えている感じです。

そこまで大きい城ではないため、おそらく別の城の支城として機能していたのだと思います。
しかし、先程上杉憲顕の墓を紹介したようにここに逃げてくるくらいですから何かしらの防備施設が当時からあり、戦える城だったのではとも思えます。

ちなみに高幡不動には上杉謙信と北条氏が同盟した時の書状が多数残されているそうです。

高幡不動と合わせて観光するとなかなか楽しい所でした

おわり

オンライン英会話体験記

どうも

梅雨が終わった途端茹だるような暑さが襲いかかってきていますが皆様いかがお過ごしでしょうか
こう暑いと出勤する気力が奪われてしょうがないです。夏休み3ヶ月くらい欲しいです。

さて、そんな日々ですが7月頭からとあることを始めてます。
それがこちら

【レアジョブ英会話】 オンライン英会話 - 会員数No.1

オンライン英会話のレアジョブです。

会社が社員のグローバル教育の一環で取り入れたもので、7月から半年間受講する予定です。

英語をバリバリ学んでグローバルエリートになってモテモテになってにゃんにゃんOLをゲットするんだ!!
という不純な動機で初めてみたもののさすがに英検5級に落ちた実力の持ち主である僕には中々つらいものがあります。まず中学生の時に学んだ簡単な文法さえ忘れている、単語が出てこない、講師の言っていることが聞き取れないetcetc…

一応受講前に簡単なテストを受けて、それに応じたテキストなり受講スタイルを指導されていたのですが本当に最初はズタボロな会話をしていたので講師の先生が逆に気の毒でした

受講形式ですが、半年間は毎日受講可能、一回25分、ビジネス英会話コースで月1万ちょいくらいのお値段になります。

1回25分ですが結構すぐに終わります。授業終わりには先生が毎度フィードバックをしてくれてその日の会話で間違った文法があった場合は指摘してチャットで送ってくれます。

さらに先生も選び放題で、学生時代の専攻内容や日本語が話せるか、また職業別など多彩な選び方ができます。

何人か受けてみて、いいなと思う講師がいたらブックマークをつけておけば先生を選ぶことに迷うこともなくなります。
ちなみに僕は会社だとあまり女性がいないし普段も話す女性がいないのでこういう時だけはという思いで女性講師を選んでます。

講義の内容は本当に様々なものがあり、日常生活で使う英会話を学ぶコースやビジネス英会話に特化したコース、さらにはTOEICの受験対策が出来る授業などが用意されています。

まだ初めて1ヶ月程ですが、だいたい週4〜5回ペースで受講できています。

続けるコツですが毎日出来るだけ同じ時間に授業を予約すること、土日等は出来るだけ午前中にチャチャッと終わらせてしまうことっていうのは心がけてます。

あとは英語を話せるようになったら何をしたいかという目標やビジョンがあると続きやすいのかなと思います。僕の場合、将来はお城の観光案内したいなと思ってますし、もしまたハリウッドゴジラが作成されるなら本場のアメリカで観たいという夢だったりを支えにして受けています(あとはグローバルサラリーマンになってモテモテになってバリキャリ美人OLを見つけるため)

とりあえずまだ始まったばかりなので、半年の受講後、少しでも英語が話せて聞けるようになっていたらいいなぁって思います。

終わり

城郭検定準一級受かりました

どうも

タイトルの通り、城郭検定準一級に受かりました

結構ギリギリでしたが、とりあえず受かって一安心です。

これで一級を受ける資格が得られたので次は一級目指して頑張ります

本紹介③

どうも

最近歴史小説読むのにハマり出しました。

数ヶ月おきくらいにハマりの波が来るのですが今がその時でした。

昔は歴史小説というと司馬遼太郎が一番人気かつ認知度も高かったのかもしれないですが、最近は本当にいろんな作風の作家さんがいてまさに群雄割拠の様相を見せています。

そういうわけで今日はこの本を紹介します。

天野純希著 南海の翼 長宗我部元親正伝
です。

誰が主人公かというと、本のタイトルにあるように長宗我部元親になります。

四国にお住いの方、特に高知県に住んでいる方は聞いたことがある名前かと思います。

戦国時代の長宗我部家の当主であり、最終的には四国全土を統一する直前まで上り詰める方です。


また、幼少の頃は大人しく武芸を磨かなかったために姫若子と呼ばれるも、初陣でいきなり首をいくつも上げるという猛将の一面を見せたことから土佐の出来人の異名を取った、という逸話も残っています。


この小説では彼の四男で跡取りであり、大阪夏の陣で豊臣方についた長宗我部盛親が、元親の代から長宗我部に仕えてきた家臣、久武親直に元親とはどのような人間だったのか、元親生存中に起きた事件や出来事の真相は何だったのかを問答する形式で話が進んで行きます。


この久武親直という武将も、実在の人物ではありますが後世の評価がよろしくありません。


元親の側近として辣腕を振るうも、自身に反対する派閥の粛清を行い、最終的には長宗我部家が潰れるきっかけを作った、と言われているからです。


ですがこの小説では、親直のことを、主君のためならどんなに汚い事でもやり遂げる、ある種の忠臣として描いています。


このような、後世評価の低い人物を別の解釈で描けるというのはまさに小説の醍醐味だなと思います。

この天野純希さんの作品では、明るく快活な人物が権力や力を手に入れて闇落ちしていく様が描かれることも多いのですが、この小説ではむしろ彼の家族に関する不幸が、どのように晩年の元親に影響を与えたのかを描いています。

現代的、と言ってしまうと陳腐なイメージが出てしまうかもしれないのですが、人間味のある長宗我部元親が描かれており、そのおかげで彼の身の回りの人物の人柄も良く伝わって来る内容になっています。


何か面白い歴史小説がないかな〜とお悩みの方は是非天野さんの著作、ひいてはこの作品を手にとってもらえればと思います。

おわり


※そういえば昨日サマーウォーズやってましたね
いつか上田城とかの紹介もしたいです