お城旅行記

お城旅行記と銘打ってるけど色々話したい

大阪城!

皆さんご存知大阪城です

今回の旅行で寄ってみたのでまとめます。
以前に行った真田丸跡もご紹介します。


地下鉄天満橋から少しだけ歩くと大阪城のお堀が見えてきます。
その近くに大手門があります。

大手門をくぐると広場があります。いわゆる枡形小口です。


道なりに進んで行くと外れに石山本願寺跡があります。信長と10年に渡る石山戦争を繰り広げました。その本願寺の本拠がここにありました。その跡地に大阪城が作られました。

橋を渡って桜門をくぐれば本丸にたどり着きます。
本丸には天守閣の他にもう一つ、ミライザ大阪城という商業施設があります。
ここは旧日本軍の第4師団の司令部の建物が使われています。

そして大阪城天守閣です。

中は博物館となっており、600円で拝観できます。中は大阪城に関する物品の展示、そして武将へのコスプレもできます。

大阪城天守閣の裏手から下城していくと山里曲輪に出ます。大坂夏の陣で敗北した豊臣秀頼淀殿親子が自害した場所と伝わってます。

大阪城公園の敷地はかなり広く全部見ようとすると時間が必要なのでさらっと観光するなら是非天守閣は見てみてください。

真田丸

2016年の大河ドラマ真田丸」で一躍脚光浴びた真田丸についてまとめます。真田信繁が丹精込めて作った真田丸を辿ってみましょう。

玉造駅から少し歩くと三光神社につきます。この辺りは真田山と呼ばれこの付近に真田丸があったと言われています。


その真田丸跡と呼ばれる場所には心眼寺があります。かなり起伏の激しい土地であることがわかります。

心眼寺から街を見ると大きく土地が沈み込んでいます。この辺りは空堀町という名前が付いており、大阪城総構えの空堀跡ではないかと思います。

ちなみに天王寺駅から北に歩くと一心寺、そして安井天満宮があります。この安井天満宮真田信繁が討ち死にした場所と言われています。
彼にまつわる銅像や松があります。




ちなみに近くの一心寺には大坂夏の陣で討ち死にした本多忠朝本多忠勝の次男)のお墓もあります。

大阪城だけでなく、その周辺にも真田や大坂夏の陣の史跡があります。是非食い倒れしながら観光してみてください。

高野山と真田庵

この世の何もかも捨てて出家したい!!

って思うことないですか?僕はよくあります。このまま山に篭って本を読んで余生を送ってやりたい気持ち抑えつつ労働に勤しむわけです。

そこで今回は山に籠る気分が味わえる高野山に行ってきました。

大阪から行くにはなんば駅から出ている高野線に乗るのが1番早道です。途中橋本駅極楽橋駅で乗り換え、ケーブルカーで高野山駅に行きます。ここまでだいたい2時間くらいです。

高野山駅に着いたらバスで巡ります。ここで830円の乗り放題切符を買っておくとかなり便利です。各種店舗の割引券付きです。

バスに乗ったらまずは奥の院を目指します。ただいきなり奥の院へ行くのではなく、手前の一の橋口というバス停で降りましょう。

ここから奥の院へ行く通りは、各大名家の墓や有名武将の墓が所狭しと並んでいるのです。

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武田信玄上杉謙信の墓や廟がありさながら大河ドラマの世界観がそこに広がっています。

大名家の供養塔は大きな石材が使用されておりかなり見応えがあります。

この通りをずんずん歩いて行くと奥の院が見えてきます。この奥の院弘法大師が今も瞑想していると言われます。
この先からは携帯電話禁止、脱帽という決まりがあります。きちんと決まりを守って参拝しましょう!ちなみにここでは転職異動祈願をしてきました。

奥の院の参拝が終わったら今度は金剛峯寺や根本大塔を目指します。

途中、また墓地を歩いて行くことになりますが、今度は企業や団体の供養塔が多いエリアを歩いて行くことになります。
シロアリ駆除の団体もシロアリの供養塔を作っています。
自分の勤めてる会社の供養塔があるか探して見るのも面白いかもしれません。


バスに乗って金剛峯寺を目指します。
道中、お土産屋などが多くある繁華街を通りますが、「小田原通り」という名前がついています。

戦国時代、豊臣秀吉に負けた関東の小田原北条氏の当主、北条氏直高野山に流され、住んでいたと言われる「高室院」がこの通りにあったことからこの名前がついたそうです。


この小田原通りを歩いて行くと金剛峯寺に着きます。

このお寺の名前は金剛峯寺となっていますが、実は高野山は「一山境内地」といわれ、総本山金剛峯寺という場合はこの金剛峯寺だけでなく高野山全体を指しています。つまり高野山が一つのお寺と見るわけです。なんともスケールがでかい…

この金剛峯寺豊臣秀吉ゆかりの寺でもあり、青巌寺と興山寺を合併したものです。(青巌寺ではのちに秀吉の甥の関白豊臣秀次切腹しています。)

拝観料500円で内部の様子も見ることができます。とりあえず転職異動祈願をしてきました。

この金剛峯寺から少し歩くと高野山の一大聖地、壇上伽藍に行くことができます。
緑に溢れる小道を歩いて行きます。

ここを抜けて行くと沢山の堂や寺院が目に入ってきます。

一つ一つの建物の説明は長くなるので省きますが、真言密教の中核となっています。特に朱塗りの根本大塔は高野山最大級の塔となります。

このほかにも高野山にはさまざまな堂や院があり一日かけないと全部見れないのではと思います。今回は的を絞って参拝したため全部は見れませんでしたが、いつか全てのお堂で転職異動祈願をしたいと思います。

宗教的にも一大聖地となっていますので非日常、神秘的な空気を味わいたいという人は是非足を運んでみてください!

〜おまけ〜

高野山から下山し、大阪に戻る道中、こんな駅があります、
バッチリ六文銭が描かれていますが、ここは関ヶ原の戦いで西軍に属した真田昌幸、信繁親子が配流され住んでいた地になります。



真田関連の史跡が多くあるようです。
かなりのどかな山麓に広がる街並みです。

駅から歩くこと10分くらい。真田庵という親子の住居跡に着きます。

敷地内には昌幸のお墓や信繁が雷神を封じ込めたと言われる井戸が残ります。

街全体で真田を推していますが、ここで信繁が考案したと言われる「真田紐」も買うことができます

真田好きな人は高野山と一緒に是非訪れて見てください

おわり

竹田城!!

GW後半戦がやってまいりました。

今回はずっと行きたかった兵庫県朝来市にある竹田城に行ってきました。

竹田城というと雲海を思い出す人がいるかもしれません。一時期話題となり、うまく気象条件が揃えば雲の上に城があるように見えるため日本のマチュピチュとも言われていました。

今回は雲海は出ていませんでしたが、かなり見応えのある山城だったので紹介したいと思います。

竹田城の最寄駅は播但線竹田駅になります。姫路駅から播但線は出ているのでここから竹田駅を目指します。

途中、寺前駅で乗り換えて竹田駅を目指します。だいたい2時間くらいで着きます。

竹田駅に着くと市をあげて竹田城を盛り上げているのがわかります。近年の観光客増加に伴って観光センターやカフェなどが多くあります。

竹田城へ行くには駅からバスに乗る方法と駅裏にある登山道から登る方法があります。今回は駅裏の登山道を歩きます。

ちなみに駅裏は寺前通と言われ、お寺が連なっています。中には竹田城主の供養塔や五輪塔もありお参りすることもできます。

この寺前通りを歩いて行くと登山道入り口に着きます。

ここから竹田城まで800m。なんだ余裕じゃんと思ったのもつかの間、かなりガチの登山が待ち受けてました。

最初は体力があるのでルンルン進めるんですよ。途中他の登山者に挨拶ができるくらいには元気なんです。ところが。

そろそろ半分だろうと思ったらまだ300m登ってなかったみたいなことが分かると心がボッキボキに折られるんですよね。


後半はもう足だけ前に動かすロボットのように無表情で登ってました。痔が再発する。

こんな感じでグエグエ言いながら登ると突然大きな石垣が現れます。これが竹田城の入り口です。ちなみに拝観料で500円かかります。

こんな山の上にどうやって石を積み上げたんだって疑問に思うくらいに立派な石垣です。
景色もなかなかよろしい。登った甲斐があったというもの。

この案内板を見ると、竹田城は本丸を中心に3つの曲輪が伸びるような形で作られているようです。


本丸の天守台からの眺めです。伸びている曲輪を眼下に収めることが出来ます。

逆に曲輪から天守台を眺めた写真です。
各曲輪の保存状態が良く、ここまで遺構がキチッと残るお城はなかなか珍しいです。

南の曲輪からの写真です。前方からも山が迫っており、竹田町も狭い土地を縫うようにして発展して行った様子が伺えます。

この竹田城、話題になっただけあってかなり見応えのあるお城です。GW、夏休みなど行く場所がない!という人は是非旅行先としてご検討ください。

〜おまけ〜
姫路から大阪に行く途中にある明石城です。
関ヶ原以降に作られたお城でかなり新しいですが、櫓の中が見れたり公園として整備されてるのでついでにこちらのお城も是非行ってみてください!

鳥羽城と松阪城

どうもご無沙汰しています。

実は4月上旬に痔瘻を患い苦しみのたうちまわっていまして久方ぶりの城攻めとなりました。ちなみに痔瘻については手術兼入院という仕儀に立ち至りそうなのでまたご報告することがあるかと思います、、、

さて、久しぶりの旅行ですが隣県の三重に行ってきました。第一の目的は伊勢神宮痔瘻の完治と転職祈願をすることだったのですが寄り道して鳥羽城と松阪城に行って来ました。

まず鳥羽城ですが、戦国時代、水軍を率いた九鬼氏のお城となります。九鬼嘉隆という人が信長に仕え、鉄甲船を作るなど活躍しました。

この鳥羽城、当時は大手門が海に面しており海に浮かぶ城に見えたそうです。


鳥羽駅から15分ほど歩くと三の丸に着きます。
鳥羽が真珠の産地であり真珠に関するお店が割と多くあります。

九鬼氏の家紋が掲げられており後ろの壁には九鬼水軍や鳥羽城に関するパネルが展示されてます。

ここから本丸に向かって歩いていきますが石垣がなかなか見事です

段々になっており見応えのある石垣です。防備がきちんと固められているのが伺えます。


三の丸から二の丸へと進む道も石垣が残っています。

二の丸からパシャり。

電車が来るところを撮れました。「そうだ、鳥羽へ行こう」みたいなフレーズ入れればそれっぽい広告に出来そうです。


二の丸から本丸は石垣を横目に登ればすぐのところにあります。
今は潰れてますが井戸もあります。

当時は天守閣もあったらしいですが今はその面影はありません。

全体的に小振りなお城ですが眺めも良く、水軍の本拠としての風格が漂うお城でした。

続いて松阪城を紹介します。

松阪城は信長の娘婿、蒲生氏郷が築いたお城です。この氏郷、会津若松城も作っておりかなり優秀な武将でした。

松阪駅から歩いて20分くらいのところにお城があります。江戸時代は松阪の街が商人の町として発展し、三井家発祥の地や商人の旧宅など他にも見所があるようです。

城に向かう途中には江戸時代の国学者本居宣長に関する史跡もあります。彼はこの地で生まれ、のちに古事記伝などを残しました。

本居宣長旧宅跡も残っています。

松阪城はここから少し歩けば着きます。

市役所のすぐ近くに大手門跡があります。大手門への道はまっすぐではなく少し曲がっており、「食い違い虎口」と言うそうです。


石垣が見事に残っています。城の遺構もかなり良い状態で残っています。

城から見える松阪の街並みや、本丸跡に残る天守台など当時の面影や街の眺めを偲ぶことができます。
松阪城の敷地内には本居宣長の旧宅を移築して展示されています。

城のすぐ隣には御城番衆の長屋が残っています



綺麗な通りを挟むように長屋が続いています。今でも人が住んでいますがそのうちの一つが重要文化財となって公開されています。


古き良き日本の住宅という趣があります。
今回知ったことですが松阪にはこのように旧家や商人の宅地が残っており重要文化財が数多くあります。

そのうちの一つ、長谷川宅は江戸時代呉服屋として財を成した長谷川氏の住宅です。江戸からの蔵が4つ、大正時代に作られた貴賓室など数多くの建物が残っています。また蔵から見つかった小判の展示も行われていました。

三井家や長谷川家のように松阪は多くの商人を輩出しました。松阪の発展させた蒲生氏郷が近江出身ということもあり近江商人の「三方よし」の精神が脈々と受け継がれているのだと感じました。

次に来るときはお財布にたくさんお金を詰めて松阪牛をかっ喰らってやろうと思います。

高遠城と中山道奈良井宿

どうもどうも

前回は松本城へ行ったところで終わりました。
ただ松本城の中までは入らなかったので今日はその紹介をします!

…と言いたいところですが、ちょっとそれ以上に紹介したいお城があるので松本城紹介はまた今度にします。どうせ今後も何回か行くと思うので(それくらい松本城も好きなお城です)

さて、どこに向かうかと言うと伊那市駅へ向かいます。

松本から電車で2時間くらいです。ただ本数が多くないので旅程を組むときは気をつけてください。

駅前がそれなりに発展しています。商店街も機能しており盛り上がりも見せていました。

ここからJR関東バスで高遠駅を目指します。

揺られること25分、520円で行けます。
この近くに何があるのかと言うとこちら

そう、高遠城があります!!

実は私、数ある城の中でも高遠城はとても好きなお城なんです。
戦さの舞台となりながらも廃城とならず、明治維新を迎えた城であり、何より私が好きな武将、武田勝頼、仁科盛信に関係するお城だからです。

ここでちょろっと武田勝頼、仁科盛信について説明します。

武田勝頼風林火山の旗印でおなじみ武田信玄の四男です。そして仁科盛信は信玄の五男となります。しかし勝頼、盛信は母親が異なり、盛信は信濃の豪族仁科家の家督を継ぐことになります。

ただ兄弟仲はとても良かったと伝わり、勝頼は信玄死後、盛信に高遠城を守らせます。この高遠城は戦国時代から重要なお城と考えられており、勝頼も城主であった時期もあり、信玄の弟、武田信廉が城主だった時期もあります。


江戸時代、宿場町として栄えた高遠の街は今もその面影を残しています。銀行の外観も昔の建物のようになっています。
この道を進み右折すると
高遠城址公園への案内板が出てきます
そして当時の登城口も
ここからズイズイ進んで行きますと階段があり
大手門があった場所にたどり着きます。
いまは面影がないですが、2枚目の写真にある石垣が手前に飛び出ているところから、ここが枡形となっていたのではないかなと思います。
ここからまっすぐ進むと、左手に門が見えます
伝大手門ということで、実態は不明ながらも門の一つではと言われています。ここが三の丸になります。そして反対側には、
勘助曲輪と言われる広場があります。
勘助とは、以前大河ドラマにもなりました風林火山の主人公、山本勘助に由来します。
実は、高遠城の設計を担当し大改修したのは山本勘助と言われています。

当時ここには堀があり、武家屋敷と曲輪が分けられていたと考えられています

ここから階段を上ると二の丸に出ます


ここに生えてる木は基本的に桜です

コヒガンザクラと呼ばれるもので高遠城は桜がめちゃくちゃ綺麗なお城でもあります。
まだ開花前ですが、
Wikipedia高遠城」より」
開花するとこんな感じになるそうです。
ただ、桜の季節になると人でごった返すらしいですね


当時の土塁もきちんとその姿を留めています。

そしてついに二の丸から本丸へ移動します
二の丸と本丸は堀で隔てられており、橋が架けられています。深く広い空堀も目を引きます。
桜雲橋と呼ばれるもので、桜の雲の中にいるように見えるということでこんな名前がついたそうです。当時の城では切って落とせる橋があったそうです。この門は問屋門と呼ばれ、もともとここにあったものではなく、宿場町にあったものをここに写したものらしいです。


橋を渡り本丸に入るとこの城の歴史を記す看板があります。

実はこのお城、冒頭紹介した仁科盛信が籠城し玉砕した城なのです。

1582年、織田信長は武田攻めを開始。木曽から長男織田信忠を大将に攻めさせました。武田方の城は大軍である織田勢に抵抗せず開城していく中、この高遠城だけは必死の抵抗をしました。
しかし大軍相手にはどうすることもできず、1日で落城、場内の兵3000(500という説も)は全員討死したと伝わっています。

仁科盛信も自害するときは自分の腸を投げつけるという壮絶な死を遂げました。
というか自分の腸を掴んで投げるってどんな姿だよ…

高遠城の桜が赤みを帯びているのはこの時の戦死者の血を吸っているからだと言われるほど壮絶な戦いとなりました。

ちなみに武田家が滅びたのは1582年3月11日、高遠城の戦いが起きたのは同年3月2日だそうです(どちらも旧暦)なので今月中にどうしても行きたいと思っていました。


広めの本丸です。ここにも多くの桜が植えられており奥には仁科盛信を祀った神社があります。(指が写っちった…)

本丸から連なって南曲輪、法幢院曲輪があります
これら曲輪も激戦が繰り広げられた場所です。
高遠城から出て少し歩くと博物館があります。
そこにはこんな像が。

保科正之の像です。
保科正之は誰かと言うと、江戸幕府二代将軍、徳川秀忠の息子となります。ただし妾の子であり、正室を憚って隠し子として密かに養育されました。
その後、当時この高遠を治めていた保科家の養子となりこの地で養育されるのです。

彼の兄、徳川家光は正之をとても気に入りその後会津藩主としました。(彼の子孫が会津松平家となり、戊辰戦争につながっていきます)

この博物館に高遠城のスタンプがあります。

さて、スタンプも押したところで次の目的地へ。
高遠城を守って討死した仁科盛信は、戦い後首を晒されますがその胴体は地元の農民によって葬られたそうです。
その地が「五郎山」と言います。(五郎とは仁科盛信が信玄の五男で、五郎と呼ばれていたことから)
墓参りを兼ねて五郎山登山開始です。

高遠城跡から歩いて25分くらいのところにあります。
ただ、山なのでそれなりに体力が必要でしょう…


山に向かう途中、橋と高遠ダムがあります。ダムはなかなか見ごたえがあります。

ちゃんと山の入り口がありました。テクテク登っていきます。

舗装されているのでなんてことはないのですが容赦ない上り坂が続いていきます。というかこれ歩きじゃなくて車で行くべきだったんじゃ…。


なんてとこ通らせんねんと突っ込みたくなるような道になりました。しかもオオスズメバチ注意の看板もあり冬とはいえ恐怖心を煽っていきます。この獣道を通って行くと…

あれは石碑ではないか!!
勇んで近づくと

大正解。仁科盛信の墓にたどり着きました。
どっぷりした体躯の像です。
今でも献花がなされており地元の人に慕われているのが窺えます。
仁科盛信の享年は26歳なのですが、私とほとんど変わらないんですよね。そんなところにもこの武将には親近感を覚えます。

山から街並みも見下ろせます。

ちなみにこの五郎山、麓に行くにつれて四郎山、三郎山、二郎山、一郎山と名がつけられており、それぞれにこの戦いで討死した武将や兵士の祠が建てられています。中には諏訪はなという女性の祠もあります。この諏訪はなという人、女性ながら織田兵と互角の戦いをした勇ましい女性として名を残しました。しかも美人だったらしい、、、

今回の高遠城の合戦、小説ですと新田次郎武田勝頼」で詳しく描写されています。

全四巻で長く、高遠城の戦いは四巻目となりますが、武田家がどのように滅んで行ったのか、著者の目線も含めて書かれているのでぜひ読んでみてください(小説なので多少の脚色がありますが)

武田氏滅亡 (角川選書)

武田氏滅亡 (角川選書)

ちなみに学術的な本だとこの本が詳しく武田家滅亡について書かれています。700ページと長いですが、大国武田家が外交的に追い詰められどんどん近隣諸国と連携できなくなっていく様、領土をじわじわと侵略されて行く様が書かれています。

なんか読書案内をしてしまいましたがぜひ読んでみてください。

ここから下山、高遠駅を目指します
もうこの段階で足がガクガクになり、無心で下山しました。

途中高遠の街を散策すると

薬局が運営する古本屋や

極楽の松がある満光寺などがありました。

高遠駅から伊那市駅へ、そしてそこから中央本線を使って名古屋へ戻ります。だいたい7時間くらい。長い。

途中、こんな駅で下車しました。

塩尻駅です。何かあるってわけではないのですが乗り換え時間がめちゃくちゃあったので食べそびれていたお昼を食べます。
改札を出ると、
どうやらこの塩尻駅はインスタで来た人に宣伝してもらいたいようで、インスタ映えグッズも置いてありました。その中には
時刻表も入ってました。
時刻表もインスタ映えする。よし、おぼえた。

この塩尻駅の観光案内所に入ると「中山道」「ワイン」「宿場町」といった言葉が多く並んでいます。このあたりは五街道のひとつ、中山道が通っており宿場町として江戸時代は栄えていたそうです。

その中のひとつの宿場がこちら
中央本線奈良井宿駅で降りてすぐのところにあります。当時の街並みや景観を壊さずに宿場町が眼前に広がっています


エモい。エモすぎる。タイムスリップしたような感覚が得られます。
奈良井宿祭神の鎮神社です。
あまり宿場町や建物に関する知識がないので「ほえー」とか「すげー」みたいな言葉しか発していませんでしたがとても落ち着く雰囲気でした。

駅から少し登ったところには二百地蔵があります。この道が昔中山道として機能したそうです。
こういった街道や宿場は景観保存されている場所も多数あります。ほかの宿場街にも足を運びたくなります。

〜まとめ〜
ということで今回の旅行は以上になります。日頃の仕事のストレスをこうやって旅行で発散するとお金もなかなか厳しくなるのですがそれでもいろんなものを直に観れる旅行は好奇心を掻き立てられます。
今回行った高遠城はとにかく街含めてオススメですのでぜひ行ってみてください。なんなら近くのお城もいい城がたくさんあるのでそちらもよろしくお願いします。

おわり

飯田線で松本へ

以前ツイッターでアンケートとったんですよ。

実は有給を使って三連休を精製しまして、旅行先をアンケートで決めようとしたんです。

その結果、ダントツで引きこもりが1番でした。(ただこれは却下)
そしてダントツの不人気が飯田線コースでした。
まぁあまり知られてませんしこれといった観光スポットがあるわけでもないですからね。

今回はこの飯田線を盛り上げてやろうと思います。
ということで今回はこの不人気コース、飯田線旅行をしたいと思います。


東岡崎駅から20分ほど電車に揺られて豊橋駅へ。この豊橋駅飯田線始発駅となります。

ところで飯田線はどういう路線かと言いますと
長野県辰野駅を結ぶ路線です。秘境駅を多数有する路線としても名高く、天竜川沿いの景色を楽しめることでも知られています。

今回はこの路線に乗って長野へ、そして周辺のお城観光をしたいと思います。

まず最初に紹介するのはこの駅。
豊橋から1時間ほどの何の変哲も無い駅ですがこの駅、長篠の合戦場への最寄り駅となります。


これらは以前撮った写真ですが復元された馬防柵や、そこで討ち死にした武将の墓もあります。


この駅から数駅行ったところにある「長篠城」駅からは長篠城にも行くことができます。


この駅から浜松市に入ります。こんな山奥なのに政令指定都市なのかって思いますがこの辺り一帯は浜松市第一次産業を支えている地区となります。


この早瀬駅は、駅が道路より低い位置にあるちょっと珍しい駅です。


そしてこの中部天竜駅が飯田線の要所駅となります。
すぐ近くを流れる天竜川がめちゃくちゃ綺麗でした。しかも掛かってる橋も新しく塗装されるそうです。

車窓からは発電所も眺められます。

この駅からまた少し乗って行くと古びた駅舎が見えてきます。(11:19着)


秘境駅として知られる小和田駅です。
以前は集落があったようですが、ダムが出来たため水没し現在は車でも行けない駅となっています。
また、駅名が皇太子妃雅子様の旧姓と同じということで恋愛成就のご利益があると人気にもなりました。
そしてさらにこの駅は、長野、愛知、静岡三県の県境となっている大変貴重な存在です。

ここまで「あれ、みんな電車の中から撮ってる?」って思われる方もいるかと思います。

はい、この飯田線、停車時間も短く本数も少ないので外に出て撮る暇がないんです。外に出てうっかり乗り遅れたら3時間待ちが確定するのでビビって外に出れませんでした。ごめんなさい。


秘境駅はまだまだ続きます。この中井侍駅も秘境と言われていますが、一応車で行くことができます。そして長野県で最も南にある駅です。

次に紹介するのはこの駅。

この平岡駅には龍泉閣という温泉・宿泊施設が併設されています。
この飯田線は長く本数が少ないのに宿泊施設があまりありません。なのでこのような駅近の宿泊施設はなかなか貴重なのです。
というかこういう施設使えば余裕を持って駅巡りができるのですが…

そして今乗ってる電車の終着駅、天竜峡駅に到着。

天竜峡川下りで知られており観光のためのお店もあったりします。

天竜川下りやってみたい。

ここからさらに北上していきます。
松本へ行くためには岡谷駅で乗り換える必要があります。
この岡谷駅諏訪湖から近く、水門や湖を眺めることが出来ます。

そしてここからある小山が見えます

この小山、実は城跡なんです。花岡城です

城主がコロコロ変わった城らしく、あまり知られてませんが、最終的に武田の支配下に収まったそうです。

主郭となる平地や、土塁と思われるものがありました。周りが住宅地化していますが城の中心部は綺麗に残っているので今後色々解明されればなと思います。こういう城は色々想像が掻き立てられます。

岡谷駅から電車に30分ほど揺られればついに松本駅です。


駅に降りるなり確定申告の案内幕が出迎えてくれました。きちんと申告しましょう。

松本と言えばあれです。国宝松本城
ここまで来るのに9時間近くかかっておりすでに日が沈みかけています。日が沈むとどうなるか。

一つはお城には入れなくなります。そしてもう一つは…

そう!ライトアップされるのです!

天守閣がなかなか綺麗でしょ?

ということで飯田線旅行は以上となります。
この秘境路線はなかなか乗り潰すのも大変ですが秘境駅や、天竜峡など見所も数多く備えており、何より松本まで行くことが出来るオススメ路線です。
ぜひ乗ってみてください!

熱田神宮

有給取りました。

部署の送別会のプレゼントを買うという使命を帯びての覚悟の有給です。

せっかくの休みを仕事絡みで無駄にした感じしかないので腹いせにずっと行こうと思っていた熱田神宮に行って来ました。

そもそもどうやって熱田神宮に行くのかというと、JRの熱田駅を使う方法と名古屋鉄道神宮前駅から行く方法があります。

前者だとほんの少しだけ神宮から離れることになるので名古屋鉄道を使うといいかもしれません。

ところで熱田神宮ってなんなのかと言いますと、伊勢神宮の次に権威のある神社となります。

日本武尊が亡くなった時に、その奥さんがこの熱田に社地を定め、草薙剣を奉納したことが始まりとされています。

平安時代、時の熱田神宮の大宮司藤原季範の娘と源義朝との間に生まれたのが鎌倉幕府初代将軍、源頼朝になります。

駅から神宮の塀伝いに歩いて行きます。
途中何箇所か入口があるのですが、正門は駅から15分くらい歩いたところにあります。


正門に着きました。その向かいには

名古屋めしの王様、ひつまぶしの老舗、蓬莱軒の本店があります。平日の14時近くなのに行列が出来ておりました。



正門から左手に行くと、上知我麻神社と八剣宮があります。八剣宮は別宮であり、新たに鋳造した宝剣が祀られています。


鳥居をくぐってズイズイ進んで行きます。途中、


眼鏡の像だったり橋があります。
この橋は二十五丁橋と言われ、名古屋最古の石橋と言われる由緒正しいものだそうです。
それにしても見事な曲線美です。


道端に目を向けると燈篭があります。これは佐久間燈篭と言われ、1630年、佐久間勝之と言う人が海難に遭い、熱田神宮に祈ったおかげでことなきを得たので寄進したものと伝わっています。


ニワトリがいました。


本殿のある広場に近いところに、この塀があります。名付けて「信長塀」

桶狭間の合戦に際し、信長はここで戦勝祈願を行いました。合戦の結果、見事に信長は勝利、お礼として熱田神宮に塀を寄進しました。

土と石灰を油で練り固め、瓦を積み重ねて、上部を桟瓦で葺いた優雅で重厚な雰囲気の塀です。


ついに本殿までやってまいりました。やることはただ一つ、戦勝祈願ならぬ転職祈願です
念入りにお参りをしました。


中の建物はやはり見えないですが、神々しい雰囲気を感じます。

建物だけでなく、樹齢1000年を超える楠木だったりならずの梅という花は咲くけど実はならないという梅があったりと、植物も神々しさを放っています


熱田神宮は敷地面積としてもそこまで広大というわけではないですし、名古屋からも電車で10分かからないのでいい休息場所だと思います。
あまり神社とか神様に詳しくなくても説明板があるので肩肘張らず気軽に行ってみてください