お城旅行記

お城旅行記と銘打ってるけど色々話したい

謙信ごっこ(小田原城と鶴岡八幡宮)

どうも

皆さんはもう初詣に行きましたか?

栃木や岡崎に住んでいた時はだいたいその土地の神さまというような由緒ある神社が1つあったのでそこに行っていたのですが東京となると無数の大神社があってどこに行けば良いか悩ましい。お陰で僕はまだ初詣に行けてませんでした。

そんな時、自分のツイッターアカウント名を見ると「関東管領れー丸」と書いてありました。

岡崎にいた時は「三河守れー丸」というようにその時住んでいた土地の旧国名に当てはめてアカウント名を決めていたのですが、東京に来た嬉しさで関東全土を治める役職名を不遜にも冠していたのです。

ちなみに関東管領とは、室町時代に関東を治めるために幕府が置いた出先機関「鎌倉府」を補佐する役目として代々上杉氏に世襲されてきた役職です。

最後の関東管領は、ゲーム等でお馴染み、あの上杉謙信なのですが、彼は上杉氏の家臣、長尾氏の出身でした。初名は長尾景虎といいます。
しかし当時の関東管領上杉憲政が小田原北条家に攻められて越後に亡命、関東管領と上杉の名を継いで北条を倒してほしいと泣きつかれます。

これを了承した謙信は以後の人生で何度も関東への侵攻を行いました。

さて、この謙信が関東管領に就任する際、小田原城を攻め、越後に帰国する途中に鶴岡八幡宮にて関東管領就任式を行いました。


関東管領を名乗るからにはそれなりに手順を踏まなければいけない。今回はこの謙信の手順を参考に正式に関東管領に就任しようと思います。



ということで小田原城へ。ちゃんと城攻めから手順を踏んでいきます。

小田原駅に着いて城がある出口とは逆方向に降りると北条家初代、北条早雲銅像が迎えてくれます。

城とは逆の出口に出ていますが一旦は城に向かって歩いていきます。


途中このような道標があります。
江戸時代、この近辺がどんな町だったのかを教えてくれます。

トンネルを抜けて線路を潜ると八幡山郭跡という看板と高台があります。

小田原城は戦国時代随一の広さを誇っていました。
その理由は総構えと呼ばれる、街全体をすっぽり城の一部として囲っていたからです。

小田原城主北条家は1590年に豊臣秀吉による侵攻を受けます。その際大軍の包囲に対処するため進撃の巨人よろしく街全体を堀で囲ったのです。まさにウォール・オダワラ。

その際に作られた堀や土塁の跡が今でも街に残されているのです。

今いる場所もまさにその発掘が行われた場所だとか。



この高台に登ると小田原城天守閣を間近に見ることができます。

城を横目に進んでいき、途中城から離れて西に向かって歩いていきます。競輪場を横目に歩くとこのような神社が。



大久保神社です。

北条家が倒された後、関東には徳川家康が移封されます。彼は本拠地を江戸に定めたため小田原には重臣大久保忠世が赴任しました。

ちなみに愛知県岡崎市にはこの大久保一族発祥の地が残っています。

大久保氏による治世を讃えこのような神社が作られました。

神社を超えてさらに西に向かうとこのような案内が。

総構えを作る際に築かれた空堀です。小田原城はかなり広範囲に作られたためこのような空堀もそれなりに残っています。

かなり凹凸が激しいですがこの堀を渡っていかないと城には辿り着けません。しかもこの堀切は城から約1.5キロのところにあるため城に着く前にかなりの損害を受けてしまいます。

それにしてもかなり保存状態がいいです。
堀切がある高台からの眺め。海が見える!



近くには土塁の跡も残っています。小田原城はこのように空堀と土塁をふんだんに使ってその防御を鉄壁にしていったのです。

さてここから小田原城本丸を目指します。

途中山角天神社があります。
菅原道真を祭っているそうですがもう一つ、ある方の銅像が置かれています。

それがこの方、瓜生外吉

誰?って言う人も多いかと思いますが、明治時代の海軍軍人で日露戦争の仁川沖の海戦で活躍して海軍大将、男爵にまで上り詰めます。

この人の別邸がすぐ近くにあったのだそうです。


さらに同じ道沿いにはもう一つ史跡があります。
対潮閣です。ここは坂の上の雲でお馴染みの秋山真之の終焉の地です。
今は個人宅になっています。

ここからさらに城に向かって歩いていくと箱根口から城内に入れます。


門をいくつか抜けていくと天守閣がお目見えです。中は博物館になっています。

銅門(あかがねもん)から外に出ようとするとこのように枡形虎口となっています。

外はしかも水堀があります。先ほどの堀切といいとことん人を殺すための機能に満ち溢れたお城です。
城を出て駅に向かって歩いてさらに飲屋街っぽいところを抜けるとこのような場所が。

北条氏政・氏照兄弟のお墓です。

豊臣秀吉小田原城を開城した北条家ですが、当主の北条氏直は助命されました。

しかし開戦の責任を取る形で主戦派と目されていたお父さんの北条氏政、そして彼の弟北条氏照切腹することとなります。

小田原城をぐるっと回る形で今回は歩いてみましたが、近代的な石垣と天守閣を持つ小田原城とはまた違った側面を発見できた城攻めでした。

小田原城攻めがひと段落したので次は鎌倉鶴岡八幡宮に向かいます。


さすが鶴岡八幡宮、正月からそれなりの日にちが経つのに結構人がいます。

今年一年の多幸を祈り関東管領就任を報告しつつ、初詣なのでおみくじを引きました。

パカっ!

なんかあまり多幸感はない内容です。特に縁談。
気を取り直して行ってみたかった神社に行きます。
それがこちら


鎌倉宮です。こちらに祀られているのは大塔宮護良親王後醍醐天皇の皇子になります。元々はお坊さんでしたが父後醍醐天皇の倒幕戦争に参加し、自ら軍を指揮するなど勇ましい活躍をします。
鎌倉幕府滅亡後、護良親王と対立していた足利尊氏親王を鎌倉に幽閉します。

しかし鎌倉幕府の残党北条時行鎌倉幕府最後の執権、北条高時の息子)が蜂起、鎌倉に迫ります。(中先代の乱

この時鎌倉を預かっていた尊氏の弟、足利直義親王北条時行と結びつくのを恐れて親王を暗殺します。

長らく世間から忘れられていた護良親王でしたが、明治時代に入り明治天皇はこの親王の功績を讃えて親王を祀る神社を造るよう命じます。そうして造られたのがこの神社です。


神社の裏手には親王が幽閉されていたとされる土牢があります。
しかし最近の研究では屋敷の中だったのではという意見も出て来ているため真偽のほどはわかりません。

鶴岡八幡宮と違ってこちらは落ち着いた雰囲気、おみくじもまじめに、新年にふさわしい結果が出るのではないかという期待を込めて振ります。

パカっ!

末吉

…うん。末吉。正直微妙。

さて最後に向かうは宝戒寺。いぜん鎌倉巡りのブログにも紹介した、鎌倉北条氏の菩提を弔うために足利尊氏によって建立されたお寺です。(ここでスマホのバッテリーが残り1パーセントになるという驚異的な減少を見せたため写真はありません。ごめんなさい。)

ここで3度目の正直、大吉を狙っておみくじチャレンジ

パカっ!!!

またしても吉

なんなんでしょう、鎌倉の寺社仏閣にはおみくじに大吉を入れないという決まりでもあるのでしょうか?2019年が少し思いやられます。

このまま大吉を引くまで帰れま10をやっても良いのですがスマホのバッテリーが残り少なすぎるので帰りました。

小田原城鶴岡八幡宮、ひとまず両方回って上杉謙信ごっこしました。小田原城は広いし鶴岡八幡宮はたくさん人がいる。とりわけ両方解説するとやたら北条さんがたくさん出てくる。

新年早々とそれなりに濃い史跡巡りができました。

おまけ
書き初めです。今年はこれらの言葉を胸に日々を生きていきます。


伊賀上野城!!(と水口城)

どうも

写真フォルダを整理していたら行ったけどブログにまとめてない城の写真がちょいちょい出てきたので少しずつまとめていきたいと思います。

今回は伊賀上野城を紹介します。

伊賀上野城は築城名人として知られる藤堂高虎によって築かれました。

元々は寺院やこの地方を治めていた仁木氏の居館がありましたが、戦国時代に入って織田→筒井氏と支配者が変わっていきます。

そして筒井氏の時代に本格的な城が作られていきました。

しかしこの筒井氏が不祥事を起こしたため領地没収となります。代わりに移封されたのが藤堂高虎関ヶ原の戦いで家康が勝ち大阪の豊臣氏に対抗するため高虎はこの城を大改修します。

天守閣も築かれましたが嵐により倒壊、以後再建されていませんでしたが昭和に入り復興模擬天守が建てられました。



伊賀上野城に行くには伊賀鉄道上野市駅で降りるのが最も近いです。典型的なローカル線ですが車窓から天守閣を拝めます。

この城は平山城になるため駅から天守台まで行くには小高い丘を登っていく必要があります。
各所に長屋や台所の跡が残っています。


こちらが天守閣、訪問した際にはまだ修理中でした。
天守にある「忍び井戸」です。説明板によると、高虎は家康より大坂城攻略に失敗した場合は上野城に籠城する旨を伝えられ、水に困らぬよう小天守に深井戸を掘り、更に横穴を四方に掘って万一の際の抜け穴とし城下町と通じさせていたようです。


藤堂高虎といえば「高石垣」と呼ばれる高い石垣を持つ城を数多く作っています。

大坂城の高石垣とともに日本で一、二を競う石垣は1611年に「打込はぎ」の技法で築かれ、根石より天端まで29.7mの高さ。下を見るだけで震えるくらい高いです。とても鎧を着て攀じ登れるようなものではないと感じました。

こちらは俳聖殿と言います。かの松尾芭蕉生誕300周年を記念して昭和時代に作られました。松尾芭蕉、実は伊賀国出身です。そのため実は忍者だったのではという伝承も残されています。



城から下山して街並みに出ても、当時の城跡を彷彿とさせる地名や石碑が残されています。
丸の内と聞くと丸の内にゃんにゃんOLと呼ばれるように東京の洒落たビジネス街が頭に浮かぶかもしれませんが実は城の敷地内は全部丸の内になるんです。
丸の内は東京だけではありません。

こちらは上野天神宮
菅原道真が祀られており、藤堂高虎によって城郭鎮守として勧進されました。


伊賀は伊賀忍者の里としても有名です。地元の三重大学には忍者の研究が盛んに行われていますが街中ではこんな忍者の人形も見ることができます。(時が450年くらい止まってるんじゃないかと思うくらいボロボロになってますが)

忍者の国伊賀とこの地を見守る伊賀上野城、是非訪れて高石垣を堪能いただければと思います!


おまけ

伊賀から帰る際に近江鉄道に乗ると「水口城南口」駅という駅があります。
(この城は伊賀ではなく滋賀県甲賀市にあります。"こうが"ではなく"こうか"です

この駅から少し歩くと水口城があります

関ヶ原の戦いが終わった後この水口は宿場町となり、徳川家光が上洛するための宿として作られました。そのため戦いのためというよりも御殿のような役割を担っています。


筆者の旅程がかなり杜撰だったため夜での訪問、しかも城内に入れずというお粗末さでしたが櫓もあったりと見所がありそうなので後日改めて行ければなと思います。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
このクソブログも新年を迎えることができました。
本年もよろしくお願いします

早速年明け一発目のお城訪問です。

当初は小田原城にでも行こうかと思ったのですが、実家の栃木に帰省したこともあり、ちょっと軽めのお城にしました。

それがこちら

長福城跡です。

多分聞いたことないという方がほとんどだと思います。僕も知りませんでした。

このお城、実は以前ブログでご紹介した祇園城、鷲城の中間に位置する城で、小山義政の乱の際に築城されたものです。

http://shirororo.hatenadiary.jp/entry/2018/09/15/祇園城・鷲城_その他諸々



小山駅から鷲城に向かって歩いていき、須賀神社を通り越して住宅街を抜けていきます。

やわた公園というところにこの城跡の碑が建っています。




現在は公園となっていますが、土塁かなと思われるものや、空堀の跡かなと思われるものなど想像を掻き立てられる痕跡がいくつか見つかりました。

やはり関東、土の城が多いです。東京住みとなったのでたくさん土の城を見ていきたいなと思います。


さて、新年となったためいくつか目標を立てたいと思います。

・仕事に慣れる
…転職して新会社になります。業界はあまり変わりませんが専門職となるので自分の出来ることを広げ付加価値を社会に提供していこうと思います。


・新潟のお城を見に行く
…僕、大名家で1番好きなのが長尾、上杉家なんです。やっぱり本拠地である越後国は押さえておきたいです。春日山城行きたい。

・資格を取る
…根がクズなので毎回落ちてる気がするのですが、証券アナリスト宅建、簿記二級を取りたいです。いや取る。

・ピアノを練習する
…毎回やり始めてすぐ挫折してるのですが今年はそれなりに練習していきたいです。
今弾けるようになりたい曲は乃木坂の帰り道は遠回りしたくなる、倉木麻衣のTime after time、米津玄師のlemon、Superflyの愛を込めて花束をですね

以上今年の目標、達成できるようにしたいです。


追伸

実家に帰ったらネコが2匹住んでました。うちに住み着いてしまった野良猫を飼い始めたようです。なんか実家の雰囲気が心なしか華やいだ気がします。

今年最後の城巡り(石神井城・高安寺)

どうも

ついに東京一人暮らしが始まりました。

いやぁ東京で一人暮らしするのずっと憧れだったんですよ。大学は東北地方に行っちゃうし大学院は東京だったけど栃木から通ってたりで全然住めなかったのについに済むことができ法的にも都民になりました。

ということで今回は自宅から最も近い(と思われる)城、石神井城と個人的に行って見たかった高安寺に行きました。

西武池袋線石神井公園駅
この駅から5分ほど歩くと石神井公園に着きます。


ど根性カエルの作者が住んでる街でもあるようでその案内もあります。

石神井公園に着いてさらに公園の奥へと歩いて行くと石神井城の案内板が現れます。


石神井城は元々豊島氏のお城です。

平安以来名族として名を馳せていた豊島氏は室町時代、新興勢力の扇谷上杉氏の家宰太田氏と対立を深め、長尾景春の乱による動乱の中で太田道灌に攻められ没落しました。

この長尾景春の乱ですが、関東における戦国時代を演出したかなりゴタゴタぐちゃぐちゃな戦乱です。とても私の技量ではまとめきれない…

ちなみに江戸城は元々太田道灌が築いた城です。

太田道灌に城を落とされた豊島氏は逃亡しましたが以降資料に出てこなくなります。

関東の動乱を今に伝える貴重な史跡です。

宅地化が進む東京において、かなり良好に土塁が残っています。



城の近くには氷川神社があり、室町時代に豊島氏が創建したものです。

近くには三宝寺池という池もあり、石神井城が落とされた際にこの城のお姫様が身を投げたとの伝承もあります。


次の目的地、高安寺に向かいます。

個人的に「声に出して読みたい駅名」No.1である「分倍河原駅」に到着。

高安寺に行く前に少し寄り道します。


駅から降りるとある人が出迎えてくれます。

新田義貞です。

分倍河原新田義貞、どんな関係があるのか、それをこれから見ていこうと思います。



駅から住宅地を抜けるととある街道に出ます。
鎌倉街道です。

名前の通り鎌倉に続く道です。

ここでかつて大きな大きな戦いがありました

それが分倍河原の戦いです。

鎌倉時代後醍醐天皇に呼応した新田義貞と、彼を防ごうと出陣して来た鎌倉幕府軍がこの地で激突、新田義貞が大勝した戦いです。


今では石碑を残すのみですが、新田義貞の優勢を決定づけた戦いです。

そんな新田義貞が本陣を置いたのが高安寺です。

高安寺はこの分倍河原古戦場跡と線路を挟んで反対側にあります。



本堂と山門です。

元々は藤原秀郷の居館跡と言われています。

藤原秀郷ですが、平将門を討ち取ったり巨大ムカデの退治話だったりと伝説も絡み合った平安時代の武将です。我が故郷、栃木県とも深い繋がりがあります。

この高安寺は城郭的な役割も持ち、新田義貞が本陣として使用した以外にも、小山義政の乱鎮圧のために出陣した鎌倉公方足利氏満や、応永の乱(1399年に山口県の守護大内義弘が起こした反乱)に呼応し幕府を倒そうとした足利満兼が本陣として利用しました。

この他も数多くの戦乱で利用されましたが、宅地化や荒廃が進み城としての遺構はあまり残っていません。(ただ周囲の土地よりも若干高い位置にあるため見晴らしは良いのではと思いました。)

足利尊氏が開基したこともあり、足利氏の家紋が随所にあしらわれています。

さらに武蔵坊弁慶に関する伝説も残っています。

平家を滅ぼし、棟梁の平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとした源義経は、兄頼朝の怒りを買い鎌倉に入ることはできませんでした。

 結局許しを得られないまま京都へ帰る途中で立ち寄ったのが見性寺(高安寺の前身)。

 義経は、弁慶らと赦免祈願のため大般若経を書写することにします。その時に弁慶が清水を汲み取った井戸が残されています。


高安寺は度重なる戦乱で荒廃してしまいましたが、江戸時代に入って復興、多摩地方を代表する古刹として今も残っています。

さて、

もうすぐ2018年も終わりですが

なんとこのブログ、

開設1周年となります!!

いやぁここまで続けることもできたのも読者の皆様のおかげです。

本当にありがとうございます!!

お城ブログと言いながら痔の話や退職の話もしていましたが、おかげさまでなんとか続けられました。

僕のブログを読んで、お城に行ってみようって気になった人がいたらこれに勝る喜びはありません。

来年も続けていきますので今後ともよろしくお願いします(作文能力の向上は喫緊の課題)

それでは良いお年を〜!

無事退職しました

どうも

年末の慌しい季節ですが、12月26日をもって無事最終出社日を迎えました。1年9ヶ月の保険会社(ネットの世界でD1と書かれる会社です)勤務でした。


星の数ほどムカつくことがありましたが、総じて人に恵まれたのではと思っています


退職に決めた経緯は過去ブログにも書いているのでもうあまり書くことがないです
(以下記事参照)
転職と退職の話 - お城旅行記


一応9月くらいには退職決めたのに結局12月に研修で部署の人員が1人減ること、さらにその12月には忌々しいパーティーと旅行がダブルで襲ってくるというハードスケジュールだったため年末の退職となりました。多分転職としてはかなりイレギュラーなスケジュールだと思います。


ただ、最後の1ヶ月、地獄のイベント運営で自分もそれなりに頑張って働いた結果、なぜか支社のボスに目をつけられ「辞めるのを辞めないか?」という慰留をされるというまさかの評価を頂きました。まぁ慰留するならもっと早くしやがれと思うところですが、丁重に断りました。

人から信頼を得ることの大変さや評価されることの嬉しさを実感できたラストだったと思います。


それで、次の会社ですが、今の会社とズブズブの関係にあるグループの系列会社で専門職として働きます。

生保から損保へと移りますが、近年この二つの垣根も相当低くなっています。私が行く会社もいつ何時合併して元の会社に戻る、なんてこともあるかもわかりません。(そうなった時は絶対に支社勤務は断りたいですが)


将来的な年収は今の所より落ちますが、自分が志望した専門職、データサイエンティストとして働くことができるので正直不安と楽しみがぐちゃぐちゃになっています。

健康に気をつけて、再び痔にならないように気をつけて生活したいと思うので是非今後とも変わらぬご愛顧をよろしくお願いします。


さて、次住むのは東京になるのですが、関東の城めぐり、めちゃくちゃしていきたいです

東日本は土の城がメインなので姫路城のような城は少ないのですが堀や土塁がよく残った城が数多くあります。そいつらを片っ端から攻めていこうと思います。

2018年もこれで終わりですが、2019年はお城とデータ分析を頑張りつつ、20回くらい挫折してまた最近始めたピアノの練習をチョロチョロしていこうと思います。

終わり

ナガシマスパーランドに行きました

どうも

タイトル通り、ナガシマスパーランド(以下ナガスパ)に行きました。

これまで仕事でしか行けず、行ったところでホテルでのパーティー準備やらで何も乗れなかったという因縁の場所です。
(ここでいうパーティーとは成績優秀な営業職員をもてなす保険会社特有のパーティーです。決して総合職入社組が楽しめるものではありません)

名鉄名古屋駅からバスも出ていますし、近鉄名駅からバスでも行けます。名古屋のバスセンターからであれば、他の施設の入館券も付いてくるなどお得な切符も買えます。

さて、このナガスパ、実は絶叫系の宝庫、「東の富士急、西のナガスパ」と言われてるようです。

まぁどデカイ遊園地なので激混みを予想しつつ入園

あれ、ほとんど人がいない?

アニメ「けものフレンズ」のEDで流れる廃墟遊園地かと思うくらいに人がいない

おい、三連休だぞ?

と、疑問に思いましたが乗り物を乗る側からすれば空いているのはありがたいこと。
早速絶叫系へ

①スチールドラゴン2000
先ほどの写真の奥になんか高いところまで登ってるコースターありますよね?あれです。

なんと園内の観覧車よりも高いところまで登ります。そこから落ちます。150キロくらい出てるそうです

内臓が飛び出るかと思いました。

②アクロバット

このコースター、なんとうつ伏せになって乗るものです

空を飛んでる気分になれます。

これも内臓が飛び出るかと思いました。

途中一回転するところがあるのですがもの凄い重力を感じました

③観覧車



ナガシマスパーランド、実は海に面しています。
また、リゾートのある長島が二つの川に挟まれておりかなり遠くまで見通すことができます。なので眺めが良い。

また、2枚目の写真にあるようにナガスパでは新たなコースターを作っている最中です。

これも出来次第乗りたいです


他にも園内には沢山の乗り物があります。
絶叫好きの人は是非来てみてください

〜おまけ〜
ナガスパに来てはしゃいだら汗かきますよね?

そんな時は湯あみの島に行きましょう。

大きな銭湯施設です。露天風呂も充実しており体がバラバラになるくらい快適なひと時を過ごせます。

〜おまけ2〜
もしあなたが彼女と来て、イルミネーションを見たいと言われたらなばなの里に行きましょう

冬季限定ですが、東海地区一と言われるイルミネーションを見ることができます




ここ、本当は植物園なんですよ。なのにみんなイルミネーション見てる
花より団子とはこのことよ



以上、雑な感じでナガシマスパーランドその他の施設を紹介しました。
ちなみに近くにはホテル花水木などの豪華ホテルもあり、宿泊も可能です。

ちなみにホテル花水木にはパーティー会場もあります。

優秀な成績を挙げた営業職員を労うパーティーを企画している保険会社の皆様、是非使用をご検討ください。料理がめちゃくちゃうまいと評判でした。(そしてパーティーを企画するような部署にお勤めの方、参加者からの満足度が高いです。パーティーの成功並びに出世、間違いなしです)

紅葉を観に行こうよう(飯盛山城・足助城)

ということで、タイトルのまんま、紅葉を観に行きました。

いよいよ退職まで一月強と迫って来たので有名な観光地を押さえておこうと思います。(そいえばまだ退職届出してねぇな…)

さて、今回は愛知でも紅葉が名物と言われる香嵐渓に行ってきました。

朝日が眩しい。。。

香嵐渓へのアクセスですが、自家用車かバスになります。今回は名鉄東岡崎駅からバスで行きました。所要時間は大体70分ですが乗り換えなしでいけます。

香嵐渓で降りると早速人の波。みんな紅葉目当てです。

香嵐渓は川に沿って紅葉が観覧できるようになっており、いろんなスポットがあるみたいです

はじめに地図中央にある飯盛山に向かいます。




香嵐渓のバス停から少し歩くと森林公園がありますがここが飯盛山
鎌倉時代から南北朝時代にかけて、足助氏の居城、飯盛山がありました。

かすれかすれですが案内板があります。

さて、足助氏についてですが、鎌倉幕府御家人だったのですが朝廷との結びつきも深く、後鳥羽院が起こした承久の乱では一族の多くが京方に味方します。

しかし結果は鎌倉幕府の勝利に終わり、生き残った一族によって足助氏も存続します。

その後時は流れ鎌倉時代末期、今度は後醍醐天皇鎌倉幕府討滅を図ります。

後醍醐天皇笠置山に籠りますがこの時、足助重範という当時の足助氏当主が後醍醐天皇に味方し鎌倉幕府相手に戦います。

しかし数の差は覆せず結果として足助重範は捕縛され京都の六条河原において処刑、足助氏は全国に散り散りになってしまったそうです。


登山道が整備されていますがそれなりに登るのは大変。しかも気温も低いからか肺が痛くてしょうがない。


頂上付近では紅葉がちらほらと見れました。

しかし土塁や堀などはあまり確認できませんでした。というよりも自然の地形なのか意図的に盛っているのかわからない感じでした。



山から降りる途中、この後紹介する足助城の城主、鈴木一族の墓がありました。

さらに麓には香積寺という寺があります。
先程紹介した足助重範の娘、滝野とその孫である成瀬基久(のちの国宝犬山城主、成瀬氏の祖先)、さらに関白二条良基が足助氏の菩提を弔うために館跡に建てました
多分城の遺構が残ってるとすればこの辺りのような気がします。

さて、この後は足助城を目指します。



香嵐渓の紅葉を楽しみつつ、抜けていきます。

それにしてもカップルが多い。



ゴミのように人がいたのに城への道に出た途端人がいなくなりました。みんな城には興味ないのかな。

城への看板はしっかりあるので迷うことは無いと思います。



真弓山というのが足助城のある山の名前。
足助城は山城のため基本的には山を登っていくことになります。足が震えてきました。


山道を登っていくとありました。足助城の入り口。

さて、足助城の説明をします。

足助城は戦国時代にこの地を治めた足助鈴木一族の居城になります。

1525年に徳川家康の祖父、松平清康がこの地を攻め、鈴木一族を服属させました。

しかしこの清康が若くして暗殺されると鈴木一族も離反、その後は離反服属を繰り返し1564年に徳川家康によって完全に服属させられます。

武田信玄が西上作戦を行った際にはこの城にも攻め寄せ、足助城は開城しますが直後に信玄が発病、死去することによって再度徳川の手に戻るなど様々な勢力に翻弄させられます。

1590年に徳川家康が関東に移されると鈴木一族も関東に移り、廃城となりました。

ただ、足助城の歴史はそこで終わりません。

なんと平成に入ってから城の復元計画が持ち上がります。

発掘作業中に大量に見つかった柱の跡や曲輪の後、さらに他の城の資料も使いながら当時の山城を再現しようと試みられたのです。スギョイ。

そのおかげで足助城は戦国時代の山城の姿を今に伝える貴重な遺構となりました。


足助城の入り口では発掘作業の様子や歴史をパネルで見ることができます。

ということで足助城へ!!

入場早々に大規模な曲輪と櫓が見えてきました。

なんかタイムスリップしたような感覚を得られます。

写真だとわかりにくいですが、西の曲輪が段々となっています。
空間としては大きなスペースではないです。

戦国時代の櫓が再現されています。
本丸へと続く道
かまどです。
ここからは大量の灰や炭化した木材が発掘されたそうです。この隣には厨があります。

木戸も上に開けるタイプ



厨の内部
当時の生活様式や建物の作りがわかります。
しかも地面には塩が練りこんであり、籠城時にはこれを削って水に溶かし、上澄みの水を飲んで塩分を補給するなど、戦いの時に備えも重視した作りになっているんだとか。

狼煙櫓
ここから各支城に連絡したようです。

そして本丸へ

本丸には高櫓が再現されています。
ほんとは1メートルほどずれたところにあったようですが、再現した時には某国営テレビのテレビ塔があったために元の位置に作れなかったのだとか
遠くに見えるのが信州に続く街道です。この道を武田信玄も通ったようです。それにしても丸見えですね。敵が攻めてくる様子がよくわかります
足助の町並み


高櫓の内部は殿様の居室、さらに二階は応接間となっています
戦国時代のボットン便所もあります。
ちなみに武田信玄は初の水洗式便所を使い名前を「甲州山」と名付けていたそうです(山には草木(臭き)が絶えないから)



写真左に見える紅葉した山が先ほど登った飯盛山です。少し足助城の方が標高が高いです

ということで紅葉そっちのけで飯盛山城、足助城を紹介しました。

どちらも山城なので体力を使いますが、特に足助城は遺構をうまく活用して戦国の城を再現しているので是非行ってみてほしいです。

香嵐渓には他にも足助の伝統的町並み足助重範を祭った足助神社など紅葉以外の見所もあるので秋に限らずとも是非来てください!