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京都聖地巡礼とノリノリな坊さんと転職お礼参り(旅行前編)

どうも
三連休中日、湧き上がる欲求を抑えることが出来ずついに来てしまいました。


はい、京都です。もう何回来たのか数えるのやめました。いっそ住みたい。

とりあえず巡ろうと思ってる史跡の最寄駅に行くために地下鉄へ。

途中こんなポスターが。

お坊さんノリノリ過ぎでしょ。お坊さんに会いにいこうとか会いに行けるアイドルと同じノリで騒いでいます。

しかもPR動画ではお坊さんが熱演してるとか、完全に従来のお坊さんの概念をデストロイしにきています。

さて、そんな知恩院、ライトアップ紅葉は如何程かというと、実に綺麗です。
お坊さんが騒ぐのもわかるくらいにほんと綺麗です。僕も去年(一人で)来ましたがライトアップされた紅葉は見る価値ありと断言できます。

是非ともこのブログを読んでる人は大切な人と見に行ってもらいたいものです。

さて、地下鉄で向かうは竹田駅

この駅から北に向かって歩いて行きます。
上に高速道路が通っているためそれに沿って歩いて行くと…
ありました。白河天皇御陵です。
白河天皇といえば「院政」で有名ですね。
周りを車がビュンビュン通る中大変厳粛な雰囲気を放っています。
この陵を横目に交差点を右に曲がってまっすぐ行くとこんな神社があります。
城南宮という神社です。
創建年は不明ですが、京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになりました。

この神社、明治維新ではもう一つ役割を持ちます。というのもこの神社が鳥羽伏見の戦いにおける官軍の本陣になります。

鳥羽伏見の戦いといえば、幕末に旧幕府軍と新政府軍が初めて戦った戦争です。
今やってる大河ドラマ西郷どん」でも先日放映されていました。

今回はこの鳥羽伏見の戦い聖地巡礼を行おうと思います。

なおこの戦争、戦線がかなり広いため徒歩と電車でカバーできる範囲で紹介していきます。
参道にはいくつか神社がありますがこの参道にはかつて大砲がズラリと並びここから幕府軍を砲撃したそうです。

ちゃんと鳥羽伏見の戦いの案内板もありました。錦の御旗についても解説されていました。


本殿と舞台です。
とりあえず転職先がホワイトであることを祈りました。南無南無

この城南宮の近くには鳥羽離宮跡があります。
もともとこの鳥羽は貴族達が狩猟や遊興を行う風光明媚な地としても有名で古くから鳥羽には貴族達の別邸が建ち並び市が立つなど、都市として発達していたそうです。

そんな鳥羽で作られた離宮後も戦場となりました。


離宮後にはこのように戦いを示す案内板が置かれています。



今の鳥羽離宮はただの原っぱになっていますがこれでもほんの一部、かなり大きな邸宅だったようです。
さて、戦争に関する案内板を読むと、この近くにある小枝橋で戦端が開かれたそうです。
その小枝橋は今コンクリの橋になっていますが橋の入り口にはきちんと戦跡を示す石碑が建っています。
そしてこれが現代の小枝橋。

川を隔てて両軍がにらみ合っていたようです。

この辺り一帯は鳥羽伏見の戦いにおける"鳥羽方面"の戦いでした。本当は淀とかの方まで戦線は伸びていたのですが時間的な都合で断念。

そこで"伏見方面"の戦いを見に行くことにしました。
竹田駅から近鉄ですぐに行けます。桃山御陵前で降ります。ここは伏見の中心地のためかかなり賑わっています。

さて、伏見の戦跡を見る前にちょっと寄り道します。
桃山御陵前駅のすぐ近くにある商店街を抜け左に曲がると一気に町の様相が変わります。
「龍馬通り」と名付けられたこの通り、雰囲気的に江戸の香りがするのですがなにやら坂本龍馬と関係があるようです。
通りにあった店のシャッター絵。酒は飲んでも飲まれるな。うん、たしかに。

と、こんな絵を見つつズンズン進んで行くと龍馬との関係を示す史跡が出て来ました。

ジャジャン!!寺田屋です。
寺田屋といえば寺田屋騒動が有名です。薩摩藩の過激派がこの旅館に溜まっていたのを同じ薩摩藩の鎮圧勢が襲撃、過激派を一掃する事件です。
さらにその後、この旅館に泊まっていた坂本龍馬奉行所の人間が襲撃、のちの奥さん、お龍さんの決死の報告でなんとか難を逃れます。

ただこの寺田屋、雰囲気的に当時のまま立っているように見えますが実際は鳥羽伏見の戦いで焼けています。なので館内にある刀痕などは後から観光用に付けられたものです。

それでも入館券が土佐藩の藩札を模しているなどなかなか粋な計らいがされています。
入館料は400円です。

ちなみにこの伏見、月桂冠など酒蔵もそれなりに多く、お酒の試飲も楽しめるようです。

では、本来の目的地に戻りましょう。
駅の方に戻るとなにやら赤い鳥居が目を引きます。

これは御香宮神社の鳥居です
門も立派な構えですが、これは近くにある伏見城の門を移築したものなんだとか。お祭りの真っ最中らしく人で賑わっていました。

そんな御香宮神社、鳥羽伏見の戦いでは薩摩藩の本営となりました。この方面では主に新撰組会津藩と戦ったそうです。
境内にはそれを示す石碑も立っていました。

この御香宮神社を山の方に向かって歩いて行くと伏見桃山城があります。


台風の影響で落石の心配があるらしく中には入れませんでした。残念(簡単に行けるような書きぶりですが、山登りなので軽く20分以上登って行くことになります。入れないテープを見たときはショックで大泣きしそうになりました。)

この桃山、天守閣がありますが模擬天守です。
関ヶ原の戦いの前哨戦では、この城を石田三成が攻めて、城主であり徳川家臣である鳥居元忠を討ち取りました。

この城の近くには明治天皇陵、桓武天皇陵があります。
桃山御陵前駅の近くにある料亭では、窓の格子に当時の弾痕が残っています。

ということで今回の鳥羽伏見の戦い聖地巡礼はここまで。他にも色々あるのですがまた次回にとっておきます。

ここでちょっと前から行きたかった場所に行こうと思います。
桃山御陵前駅の近くにある京阪から八幡市駅を目指し、そこからケーブルカーに乗ります。

たどり着いたのはここ
エジソンが日本の竹を電球のフィラメントに用いたことを示す記念碑と、
石清水八幡宮です!

石清水八幡宮は勝負の神様と言われ、さらに源氏一門の氏神として尊敬されてきました。
ここで、転職先でうまくやって行けるよう祈念しました。南無南無。
それにしても赤い社殿が青空に映えて良い雰囲気でした。

さて、転職にあたって、かなり念入りにお参りしていた神社が京都にはあります。
それがこちら。



安井金比羅宮です。
今回はそのお礼参りをします。

電車だと祇園四条駅で降りるのが1番行きやすいと思います。

この神社、何がすごいって悪縁切りが物凄いんです。テレビでも取り上げられるくらいかなりのご利益があります。

かつて私もこんな札を奉納しました。

支社から出てホワイト部署どころか会社ごと変わりましたからね!!
ここの御利益ほんとすごいですよ。また転職するときはお参りしますよ。

こんなにすごいこんぴらさん。いったい誰が祀られてるのかと言えば、崇徳院になります。

崇徳院は1156年、保元の乱で敗れて讃岐の国に配流され、そこで怨霊になったと言われています。
日本の御霊信仰では、位が高い人ほどヤバイ怨霊になると言われており、皇族かつ上皇である崇徳院は日本史上最強の怨霊と言えます。貞子や伽倻子なんて目じゃありません。

そんな崇徳院が祀られているだけあって、その御利益に預かろうと沢山の参拝者が訪れます。

とりあえず転職の成功のお礼と次の場所での多幸を祈りました。

実はこれで京都編は終わり
次は東海道新幹線でも地味な駅を散策します。(後編に続く)