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心を取り戻す旅in九州

九州に行きました。

院生時代の友人たちとの旅行です。仕事で無になった心を取り戻す旅です。

博多へは12:00の集合だったので7:06に家の最寄駅を出発できればいい感じの時間で博多に到着できます。

ちなみに今回は新幹線です。痔対策です。「九州」と「鈍行」と「痔」はセットですからね。

ここまで淡々と書いていますが実際目を覚ましたのは7:10。まあ堂々たる寝坊ですね。台風のごとく準備を終わらせて家を飛び出しました。

さて、盆の帰省ラッシュにもみくちゃにされながら博多へ到着、一路太宰府天満宮へと向かいました。

西鉄福岡駅から途中一回乗り換えをして太宰府駅を目指しました。

太宰府といえば、朝廷が西国統治の出先機関として設けた役所のことで、与えられた権限の大きさから「遠の朝廷」とも言われました。

そんな太宰府にある天満宮、祀られているのは菅原道真です。

遣唐使を廃止したりするなど政治の舞台で活躍した菅原道真ですが、讒言によってこの太宰府に左遷をくらいます。

道真自身は太宰府で亡くなりますが、死後彼を貶めた方達が相次いで不審死を遂げます。雷に打たれて亡くなった描写もあり、雷を司る怨霊として菅原道真像が形成されていきます。

ついには崇徳上皇平将門に連なる日本三大怨霊として御霊信仰の対象となります。

そんな太宰府天満宮ですが、学問の神様として有名です。筆者も来たる転職面接に備えて日本海溝よりも深い祈りを捧げました。なむなむ。


太宰府駅から天満宮までは店が並び縁日のような賑わいを見せています。スターバックスの外観がなかなか面白かったです。


鳥居をくぐって小さな橋を渡ると

本殿が見えてきます。

途中、たくさん風鈴を飾ってるスペースがありました。

本殿では多くの方々がなむなむお祈りを捧げています。特に絵馬にはさまざまな進路を志す若人の願いが書かれており、「頑張れよぉ〜」って心の中で応援したくなるような気持ちを味わえます。

ちなみに太宰府天満宮のすぐ近くには九州国立博物館があります。

すごい斬新な設計で、中には特に古代を中心に大陸との交易で栄えた博多、九州の解説、物品展示が行われています。
古代はすごい苦手な時代だったのでものすごい勉強になりました。

実は太宰府には岩屋城跡などちょいちょいお城があるのでいづれ行ってみたいです。


おまけ




旅行中1日は別府温泉に行きました。♨️
別府温泉は「地獄巡り」という源泉巡りが観光として有名らしいです。

とりあえず温泉に浸かることで心を取り戻せたので心が死んでる、死にかけてる人は是非温泉で蘇生させましょう

東京お散歩2

ついにやってきました。

夏休み!!
会社に行かなくていいというだけでなかなか気分の良いものです(ただ休み明けの業務が今から憂鬱…)

さて、夏休みに入ったので東京に来ました。
なんで東京かというと、この夏休みを利用して職を転する活動を行うためです。(この話は進展があったら後日します)

訪問する企業が泉岳寺駅近くにあったため、駅名にもなってるお寺を参詣しました。


地下鉄に乗って泉岳寺駅へ。そういえばシンゴジラにも出てきたような…

改札を出るといきなり人名を書いた看板が。
ここに書いてあるのは、忠臣蔵で有名な赤穂浪士47士の方々です。

忠臣蔵、赤穂事件って何??って方のためにざっくりお話しすると、1701年、徳川綱吉が将軍だった頃、江戸城松の廊下において赤穂藩浅野内匠頭吉良上野介に突然斬りかかるという事件が勃発。原因は今以て不明(斬りかかる以上何らかの遺恨があったのでしょうが)ながら、ちょうど朝廷からの使者を接待している時の不祥事ということで綱吉が激怒、すぐに浅野内匠頭切腹が命じられました。

赤穂浅野家も改易、藩士も路頭に迷う事態が生じます。

他方、吉良上野介には何のお咎めもありませんでした。当時は喧嘩両成敗が原則であり、浅野家からすれば納得のいく裁定ではありませんでした。

お家再興も叶わず、さらに吉良上野介が隠居してしまったことで幕府による制裁も望めなくなり赤穂藩大石内蔵助堀部安兵衛らが中心となって旧藩士をまとめて仇討ちを計画します。

そして仇討ち当日、集まった赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入り吉良上野介の首級を上げ、主君の仇打ちを行いました。

さて、この仇討ち、幕府は裁定に苦労します。民衆の赤穂浪士支持があったとも、幕府内にも浪士支持の意見があったりとしたそうですが最終的に武士の体面を保つため切腹という処分が浪士に下ります。

浪士が切腹し、その後葬られたのがこの泉岳寺になります。彼らの主君の浅野内匠頭もこの寺に葬られています。

以上が赤穂事件の簡単なあらましです。討ち入り前の会議や打ち合わせなどドラマではいろいろ描かれています

大石内蔵助銅像があり、出迎えてくれます。



2つの門をくぐり、

本堂へ。転職祈願をしました。なむなむ。

本堂のすぐ近くに赤穂事件関連の史跡があります。また資料館もあります

浅野内匠頭の血が付着したという木や石

さらに吉良上野介の首を洗った井戸など。


お墓へはこの門をくぐります。この門、元は浅野家の江戸屋敷の門なんだとか

入って右手には浅野内匠頭の墓
そして主君に寄り添うように47士の墓が並びます。
家老大石内蔵助の墓もありました。
意見の対立や改易直後の混乱を収拾させるなど手腕を発揮したお方です。


面接前にちょこっと立ち寄らせていただいた泉岳寺、歴史の一事件を今に伝えるお寺でした。

忠臣蔵はさまざまな方が小説にしたり映像化しています。よく知らないという方は一度見てみてください。

道端で見つけた①

ラーメン食べに自転車漕いでいたら偶然見つけました。

能見町という名前は今も使われていますが能見城という城は聞いたことありませんでした。

特に遺構もなく、完全に住宅地になっていますが昔ここに城があったと思うとワクワクします。

少し能見城について図書館で調べてみると、松平家三代目信光の八男、松平光親が能見を領し能見の地に住んだことから能見松平氏と称したそうです。
五代昌利のとき 家康が関東移封となり城は廃城となったそうです。

城のすぐ近くに観音寺という寺があるのですがそこに能見松平氏の墓があるそうです。

京都!(一面クソ緑編)

京都に行きました。

多分13回目くらいの京都です。

京都行くとなぜか心が落ち着くんですよ。鴨川見てるだけで心が和む。もう仕事でささくれ立った心を癒したい、そんな思いで京都に行きました。

ところで、そろそろ京都中心部の主要仏閣は見た気がするのでそろそろ郊外に目を向けていかなければと思っていました。そこで今回は大原
に行ってきました。



金曜、仕事終わりでそのまま京都へ。お宿は毎度おなじみ東横イン四条烏丸店。

駅に着いたらお祭り騒ぎになっていました。そいえば祇園祭の季節ですね。

ちなみに祇園祭は別れた彼女との初デート記憶しかないので胸が苦しくなります。はい。

ところで夕飯を食べなきゃいけないのですが、最近焼き鳥に飢えていたので、ついに来てしまいました。

はい、鳥貴族です。ぼっち鳥貴族です。キャベツおかわり自由は貧弱に優しい。焼き鳥欲求も満たされました。

そんなこんなで1日がおわりました。

2日目


見てくださいこの晴れ渡る快晴、清らかに流れる鴨川。まさに癒しの景色。

大原に行く前に瑠璃光院に行きたいなと思っていたので四条から出町柳駅を目指します。バスで行っても良いのですがちょっと行きたいところがあったので徒歩で行きます。

寺町通りをずんずん北上して行ったところに、僕の行きたかったところがあります。

それがこちら。

そう、本能寺です。

といっても当時と同じ場所ではなく、本能寺の変で焼けてからここに移転されました。

本能寺の変といえば皆さんご存知、1582年に織田信長が、重臣明智光秀に襲撃され自害した変事です。

たった一夜で日本の歴史がひっくり返るという大事件の舞台になったお寺。収蔵している文化財も多岐に渡ります。
宝物館も見学できます。


本堂を参拝し、裏手に回ると、信長の廟があります。

すぐ横には討ち死にした家臣たちの供養塔も

本能寺自体はもともと別の場所にあったのでいづれそこにも行ってみたいです。

さて、寺町通りを抜けて河原町方面に歩いて行くと、ホテルオークラがあります。

仰ぎみてもなお写真に収まらない。ここにはかつてこれがありました。

長州藩邸です。
幕末の政局を語る上で外せない長州藩。その京都における中枢がここにありました。

幕末の史跡については、木屋町の方へ進んで行くと
佐久間象山大村益次郎の遭難跡があります。
佐久間象山は幕末の思想家、大村益次郎は医師でありながら軍事の天才と言われたお方です。彼はさらに靖国神社の創建にも携わっています。

この木屋町を北に行くと、今度は近代の歴史を伝える、
島津製作所の博物館があります。
近代から科学の発展に寄与した一企業の歴史を知ることができます。

と、こんな感じで寄り道しながら出町柳駅へ。

ちなみに出町柳駅にはこのお方が出迎えてくれました。

「NEW GAME」主人公の涼風青葉ちゃん。
駅員コスプレですが、イーグルジャンプを辞めて転職したのでしょうか。

この出町柳駅から八瀬比叡山口をめざします。

八瀬比叡山口に着くといきなり川がお出迎え。なんとも涼しい光景です。

ここから瑠璃光院まで少し歩けば着きます。

出てきました。瑠璃光院の案内板。さぁインスタ映えする写真を撮りまくるぞ!!

……

ここまで言っておいてなんですが、結論を言うと境内には入れませんでした。

そう、瑠璃光院は普段は見学できない(特別回覧の時のみ見学可)の史跡なのです。。

全くそのことを調べずに呑気に「瑠璃光院でインスタ映えする写真とっていいねたくさん稼ぐぞ!!」なんて欲にまみれた考えをしてるからこんな報いを受けるのです。ほんとどっかのお寺で煩悩を取り払って貰う必要がありますね

ちなみに次の特別拝観時期は10月頃らしいです

紅葉の時期はこんな感じになるそうな
瑠璃光院ホームページより

涙を飲んで出町柳へ戻ります。

ちなみに、出町柳への帰路にある「一乗寺」という地域は、ラーメン激戦区として知られ、ラーメン次郎京都店初めその他多数のラーメン屋さんが出店しています。あの天下一品もこの一乗寺発祥なのだとか。ここで無念の食事。

恵那くというつけ麺屋さんでつけ麺を食べました。
魚介風味、麺はモチモチの自家製麺で美味しかったです。
サイドメニューの魚粉入り卵かけごはんも良い味ぶちかましてました。

で、腹ごしらえをして出町柳へ再度振り出しへ。

今度こそ大原へ向かいます。出町柳から大体30分くらいです。

さて、大原には何があるかというと、有名な三千院があります。そしてもう一つ、平清盛の息女、建礼門院徳子が平家滅亡後一門の菩提を弔った寂光院があります。

大原、京都の里山というだけあってほんと「ザ・自然」という趣です。


まずは寂光院へ。バス停から約1キロ、テクテク歩いていきます。夏場はなかなか体力を消耗しますが、途中足湯や温泉があるので辛くなったら休むことができます。

そして到着、寂光院到着

なんともきつい階段の上にお堂があります。

平家が極めた栄華を思うとあまりにもひっそりとしたお堂です。ここで建礼門院は一門の菩提を生涯弔ったと言います。

お隣には建礼門院の陵があります。

寂光院諸行無常をひしひしと感じさせてくれるスポットでした。

さて、次の目的地、三千院ですがなんと寂光院の真反対にあります。もう一度バス停に戻ってさらに700メートルくらい歩くことになります。つらい。


大原参道を歩いて行くとしそ畑があります。
大原、しそが有名らしいですね
しそアイスを売ってるお店もありました。

しそ畑、露店を横目に進んで行くと三千院があります。
かつては仏教修行者の隠棲の地として知られ、青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられています。


境内へGO!

お堂の中は撮影禁止ですがお庭は撮影可能です。緑が眩しい。

すごい侘び寂びを感じる庭園です。苔むしたお庭、よろし。


実はここからさらに上に登ると別の寺院があるのですが時間の制約と体力の都合上、上には行けませんでした。

またの機会に取っておこうと思います。

大原、京都とは思えぬほど自然に満ち満ちた場所でしたが、かなり楽しむことができました。

里山という場所に興味がある方は是非訪れてみてください。

あと、次こそは絶対瑠璃光院行くぞ

僕と痔瘻の〇〇日戦争⑦(保険金おりました)

ついにやってきました

夢の三連休と時を同じくしてやつがやってきました!

そう、保険金です!

実は私ちゃっかり去年保険に加入してまして、入院、手術ということで給付手続きをしてました。

手続きから大体1週間ちょいで降りたので結構早いものだなぁと感じました。

さて、それではいくら保険金がおりたのか計算してみましょう。

私が加入している保険は入院すると日額1万円降りるというものです。

そして手術給付金はいくら降りるのかというと入院日額×20倍、つまり20万円降ります。

なので私の場合は
入院給付金は14日入院×1万円
手術給付金は1万×20
ということで、34万降りることになります。

さらに私は手術を受ける前の、肛門周囲膿瘍になった時に日帰りで切開手術を受けているため、外来手術でもお金が降りていました。

加えて、会社の団体保険でも入院給付金の日額5000円のものに加入していたため、上述の保険の半分が同じ計算で降りました。

ちなみに私が今回入院手術で払ったお金は高額療養費制度を使って10万ほどだったためお釣りがくる事態になりました。えらいこっちゃ。


さて、ここまで書いておいてなんですが、保険って基本的にお世話にならない方が絶対に良いです。

保険が降りるということはそれだけ健康を害したということなのですから。

ですが本当に、もしも…の時を考えることも必要なのかなと今回感じさせられました。

特に若いうちなら保険料も安く済み、手厚い保障の保険に加入することもできます。

もしこのブログ読んで、保険に加入しとこうかな…って思った人は職場にいるであろう保険のお姐さまに相談したり保険ショップ、ネット生保など見てみると良いかもしれません。

最近では外資系や損保系生保など幅広い会社が保険を販売しているので、まずは自分が病気になった時にどういう保障が必要なのかということを考えてみましょう。


ちなみにちなみに、私は保険金で儲けたお金でパソコン買い換えます。

おわり

明治村と犬山城!!

こんにちは

関東の梅雨が明けたと思いきや今度は西日本で豪雨災害が起きてるというなんとも不安な今日この頃です

愛知も雨の日が続き洗濯物が乾かない災害が起きてます。着るものがなくなっちゃう…

さて、そんな週末ですが今回明治村犬山城に行ってきました。

ところで皆さんは明治村ってご存知ですか?
明治村は愛知県犬山市にある屋外博物館になります。

何を展示してるかというと建造物、それも明治時代の建物を展示しています!

園内にある建物の殆どが何らかの文化財に登録されており、あたかも自分が明治時代にタイムスリップしたかのような感覚を味わえます。

さらにこの明治村、日本で2番目に広い面積を持つテーマパークなんです!あのネズミの国、もとい東京ディズニーランドよりも広いのです

今回はその明治村を紹介したいと思います。

名鉄犬山駅からバスに乗って2、30分くらい揺られていると明治村に着きます。大人1700円、犬山城セット券だと1900円です。

園内が全部で5丁目まで区分けされていてそれぞれにいろんな建物が配置されてます。

明治時代からこの村の時はずっと明治を生きています。明治150年。


こちらは大井牛肉店といい、明治になってから広まった「牛鍋」を食べることができます。また、

当時の小学校や
西郷隆盛の弟、西郷従道の邸宅など、偉人ゆかりの建造物が移築され残されています。
従道の部屋もきちんと復元されています。

こちらは明治から昭和にかけての政治家、西園寺公望の別荘です。多くの政治的会談がこの屋敷で行われました。

とまあこのような形で本当に多くの文化財を目にすることが出来ますが、明治村といえばこの建物が外せません。


帝国ホテルの中央玄関です!!
アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計されたもので、大谷石テラコッタによって装飾されています。


玄関に入ると吹き抜けになっており、喫茶店や劇場の入り口などがあります。

しかし個人的に1番目を引いたのはこちら

何だかわかりますか?これ、日露戦争の講話条約締結時(ポーツマス条約)に使われたテーブルなんです!!


教科書でも見かけることのあるこの講話会議の舞台が今目の前に現れた感動たるや、まさに筆舌の尽くせるところではありません。まじ感動。

明治村に訪れたら絶対にこの帝国ホテルは見ていただきたいです。正直1日では園内全てを見ることが大変なくらい、魅力に溢れた博物館なので是非足をお運びください!


さて、この犬山にはもう一つ行きたいところがあります。

それがこちら

国宝犬山城です。
日本には国宝の城が全部で5つ(松江城松本城彦根城、姫路城)あり、そのうちの一つが犬山にあるのです。

この犬山城は織田の城から最終的に徳川の城となり、尾張徳川家の付家老、成瀬家の城となります。

犬山駅から歩いて行くと城下町を模した街並みが現れます。

いい感じの風情がある通りです。かき氷や金箔ソフト、飛騨牛握りなどご当地グルメも楽しめます。


城下町を抜けると猿田彦神社があり、さらに階段を上ると城門へ行くことができます。


野面の石垣も見応えがあります。

天守閣自体は小振りで、内部もそれほど広いわけではありません。各層で武器保管庫だったり対面の間があったりとそれぞれ特徴的な作りになってます。


ちなみに天守閣最上階の眺め


木曽川やばい。
最上階には犬山城主の肖像画や、城主一族の写真等が飾られてます。

かなりフランクな自画像。こんな風な自画像が欲しい…

犬山城は城だけでなく、城下町と合わせて楽しめるお城です。一つの街にこれだけ楽しめるものがあるのは羨ましい限りです。

前述の明治村と合わせて是非行ってみてください!

お城の本 1

どうも

術後の経過もそこそこ順調になんとか生きてます。しかし退院即出社はしてはならないですね。きちんとリハビリ期間は必要です。

さて、手術を受けた以上そう簡単に旅行に行けるようになるわけではありません。

しかし城好きとしてはどうにかして城に行きたいものです。

取り得る手段としてはストリートビューとか城紹介の番組、動画を見るということがあるのですが今日はこの本を紹介したいと思います。

こちら!

ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城

ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城

城の在りし日の姿をイラストにして紹介している意欲的な本です。

城下町の様子や城の構造を今の地形や当時の資料をもとに描いており気軽に城巡りをしている気分になれます。

大変多くの城が収録されているので是非一家に一冊揃えておきましょう!