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米原駅周辺(旅行後編)

はい、後編です。

舞台を京都から米原駅に移します。

米原駅って皆さん知ってます?東海道新幹線も止まる駅ですが、いかんせん名古屋と京都に挟まれてあまり知名度がありません。それどころかなんで止まるんだろうってくらいには何もない印象が強い。

いっそ岐阜羽島駅共々東海道新幹線から消えても誰も気にしないのではないかと思うくらいには印象が薄いです。(岐阜羽島駅知名度相当低いと思う)

ということで今回は米原駅の周辺を散策します。ちなみにこの駅にある立ち食いうどん屋はうまい。

本当はレンタサイクル借りたかったのですが生憎全部借りられていたのでバスと徒歩で頑張ります。
駅の東口には風土記を模した木彫り絵がかけられています。
さらに外にはかつて湊があったことを示す案内板があります。

まずは東口を見て行きましょう。
とりあえず空が青い。という感想しかないくらいには何もない。この道を歩いていき途中山の方に進んで行きます。
山道に沿って進むとこんな看板が。
この道は江戸時代に作られたこと、米原の発展に寄与した道ということがわかります。ちなみにこの道の横にある山、実は城跡。太尾山城というお城がありました。
ただ山なのでとりあえず今は放置。

山道を抜けると田園地帯へ。
西日が差しなんかこう、胸がキュンと締め付けられるような感覚を感じながら進んでいきます。この時点で駅から2キロ以上歩いています。
チャリが欲しい。
そんなこんなで歩いて行くとお目当ての看板が出てきました。番場宿です。


道脇に当時どんな建物があったかを石碑が建っていますが目的地はここ。

蓮華寺です。
聖徳太子によって開かれた寺と言われています。
ここは鎌倉時代末期、足利尊氏に攻められた六波羅探題であった北条仲時という人が、皇族を連れて鎌倉に逃げる途中、進退窮まって主従430人以上と自害した場所です。



鐘楼や本堂です。この裏手にある山に、主従の供養塔が立っています。


五輪の塔が所狭しと並べられています。かなり静寂な雰囲気でした。

ちなみに北条仲時のお墓はさらに奥の山である六波羅山に移されており、五輪の塔が建てられています。流石にそこまで行く体力はありませんでした。

さて、いい時間にバスがあったので駅までピューっと帰りました。

駅西口から少し歩くと田園風景。新幹線が止まる駅とはとても思えない。。。

この田園をとぼとぼ歩くと一つの祠があります。これがどんな祠かというと…
大谷吉継首塚です。
大谷吉継といえば、ハンセン病を患っていながら関ヶ原の戦いに西軍として従軍、小早川秀秋と交戦して討ち死にしました。
実はこの時首が発見されず、一説として従軍していた僧の祐玄が首この地まで運び、埋めたという伝承が残っています。
それを示す塚となっています。

さて、最後に駅の東口にある2つの寺社に行きます。2つとも東口から歩いてすぐです。
参道をテクテク歩いて行きます。

湯谷神社と太尾山城です。太尾山城は山城で山の尾根に沿って築かれています。織田信長浅井長政の戦いの舞台となりました。
流石に登る時間も体力もなかったので案内板だけ…(この時点で足はもうボロボロでした。蓮華寺まで歩いたのが良くなかった。というか京都も歩きっぱなしだった)

もう1つが青岸寺です。開基は婆娑羅大名として知られる佐々木道誉です。一方で風雅の道も心得た人だったらしく、この寺も枯山水庭園が国の名勝となっています。

庭内にはキリシタン灯篭と呼ばれるものがあります。織部灯篭とも呼ばれており、一般的な灯篭とは形が異なるようです(どこがどう違うのかよくわからなかった…)

庭の全景。あーなるほどという感想しか出てこないくらいにはこの風流を解する心を持ち合わせていませんでした。ごめんなさい。

という感じで米原駅を散策しました。
駅前には平和堂というデパートもどきと山内農場と東横インがありましたがほかにはなんもなかったです。

ですが城や神社などそれなりに史跡もあるため、京都に行く予定がある人はぜひお立ち寄りください。


おまけ

駅前にある広場のベンチ、なんと非常時にはかまどになるようです。駅前キャンプはれそう。