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広島城!

どうも

今日アニメゴジラ第三部「GODZILLA 星を喰うもの」見てきました。

感想としてはゴジラという生き物が好きな人は楽しめる、ただ人間ドラマ含めて映画全体として楽しみたい人はそれなりのところに落ち着く、そんな感じがします。

機会やテクノロジーを信じるビルサルド
神や教義、信仰を重んじるエクシフ
命をつなぎ調和を尊ぶフツア
と、三種族の特徴がよく描かれ対比されていたのは良かったのかなと思います。

アニメゴジラに何を求めてるかで抱く印象は変わるのかなと思いました。

さて、劇中に核兵器に関する描写があったのですが、ゴジラといえば核の申し子とも言われ、元々は水爆実験による影響を受けて太鼓の恐竜が巨大化したというのがそもそもの設定です。

歴代作品でも水爆や原爆についての描写がありますが、今回はそれに関連して、実際に核兵器による被害を受けた広島城について紹介したいと思います。


広島駅から平和大通りへ。道路幅が100メートルあることから100メートル道路と言われ、日本に三本しかないうちの一本がこれです(残り二つは共に名古屋の久屋大通若宮大通


途中には学者の顕彰碑などがある他、原爆による犠牲者を悼む石碑などもあります。

平和大通りを進んで行くと川にぶつかります。その川沿いに行くと原爆ドームがあります。原爆投下時に何があったかを示すパネルや慰霊碑が並んでいます。

そんな原爆ドームを横目にさらに川沿いを進んで行くと、目当ての広島城があります。

広島城は戦国時代に毛利輝元によって築かれました。
豊臣秀吉によって五大老に任命された毛利輝元は西国支配の中心をここ広島に据えてまちづくりを行いましたが、関ヶ原の合戦で家康に対抗したため転封されます。

毛利の後には福島や浅野といった大名が領主となりました。

そんな広島も明治維新を迎えた後は日本軍の拠点が置かれ軍都として発展します。

広島に原爆が投下された理由にもなった軍都としての機能が大きくなり、日清戦争時には大本営が置かれ国会も開かれました。

原爆投下時は火災で燃えることはなかったようですが爆風による倒壊は免れず天守閣始めとした城の史跡はほとんどなくなったようです。

敷地内には戦争による被害を示すパネルもあり、
復興天守も拝めます。中は博物館となっており兜の試着も出来ます。

敷地内にあるこの白い扉、フェンスで今は覆われていますが、ここはかつて作戦司令部として使われ、原爆投下時に破壊された市内の電信に代わってここから広島の惨状を伝える一報が発信されたのだとか。

先ほど書いた、大本営後もきちんと残っています。

天守閣からは広島市内が一望出来ます。


堀を含めた広島城

地元からは残念な城と言われているようですが、明治から昭和にかけて日本の軍事を担った軍都としての記憶や原爆の影響を今に伝える貴重な史跡だと思います。


また、敷地から少し離れると陸軍幼年学校の跡地も現れます。

将校となる人材を供給する役目を担った幼年学校ですが今は門を残すのみ。この幼年学校のあり方も後世様々な批評がなされています。

広島にはこのように戦争の面影がいろんなところに残されており、なんというか背筋がピンと伸びるような感覚を感じることができます。

おまけ

広島といえばお好み焼きですが、広島市内にはこんなものがあります、

そう、お好み村
村といっても広い敷地ではなく一棟のテナントビルに沢山のお好み焼き屋が入居しています。

はしごもできるので広島にお越しの際は是非来てみてください。