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紅葉を観に行こうよう(飯盛山城・足助城)

ということで、タイトルのまんま、紅葉を観に行きました。

いよいよ退職まで一月強と迫って来たので有名な観光地を押さえておこうと思います。(そいえばまだ退職届出してねぇな…)

さて、今回は愛知でも紅葉が名物と言われる香嵐渓に行ってきました。

朝日が眩しい。。。

香嵐渓へのアクセスですが、自家用車かバスになります。今回は名鉄東岡崎駅からバスで行きました。所要時間は大体70分ですが乗り換えなしでいけます。

香嵐渓で降りると早速人の波。みんな紅葉目当てです。

香嵐渓は川に沿って紅葉が観覧できるようになっており、いろんなスポットがあるみたいです

はじめに地図中央にある飯盛山に向かいます。




香嵐渓のバス停から少し歩くと森林公園がありますがここが飯盛山
鎌倉時代から南北朝時代にかけて、足助氏の居城、飯盛山がありました。

かすれかすれですが案内板があります。

さて、足助氏についてですが、鎌倉幕府御家人だったのですが朝廷との結びつきも深く、後鳥羽院が起こした承久の乱では一族の多くが京方に味方します。

しかし結果は鎌倉幕府の勝利に終わり、生き残った一族によって足助氏も存続します。

その後時は流れ鎌倉時代末期、今度は後醍醐天皇鎌倉幕府討滅を図ります。

後醍醐天皇笠置山に籠りますがこの時、足助重範という当時の足助氏当主が後醍醐天皇に味方し鎌倉幕府相手に戦います。

しかし数の差は覆せず結果として足助重範は捕縛され京都の六条河原において処刑、足助氏は全国に散り散りになってしまったそうです。


登山道が整備されていますがそれなりに登るのは大変。しかも気温も低いからか肺が痛くてしょうがない。


頂上付近では紅葉がちらほらと見れました。

しかし土塁や堀などはあまり確認できませんでした。というよりも自然の地形なのか意図的に盛っているのかわからない感じでした。



山から降りる途中、この後紹介する足助城の城主、鈴木一族の墓がありました。

さらに麓には香積寺という寺があります。
先程紹介した足助重範の娘、滝野とその孫である成瀬基久(のちの国宝犬山城主、成瀬氏の祖先)、さらに関白二条良基が足助氏の菩提を弔うために館跡に建てました
多分城の遺構が残ってるとすればこの辺りのような気がします。

さて、この後は足助城を目指します。



香嵐渓の紅葉を楽しみつつ、抜けていきます。

それにしてもカップルが多い。



ゴミのように人がいたのに城への道に出た途端人がいなくなりました。みんな城には興味ないのかな。

城への看板はしっかりあるので迷うことは無いと思います。



真弓山というのが足助城のある山の名前。
足助城は山城のため基本的には山を登っていくことになります。足が震えてきました。


山道を登っていくとありました。足助城の入り口。

さて、足助城の説明をします。

足助城は戦国時代にこの地を治めた足助鈴木一族の居城になります。

1525年に徳川家康の祖父、松平清康がこの地を攻め、鈴木一族を服属させました。

しかしこの清康が若くして暗殺されると鈴木一族も離反、その後は離反服属を繰り返し1564年に徳川家康によって完全に服属させられます。

武田信玄が西上作戦を行った際にはこの城にも攻め寄せ、足助城は開城しますが直後に信玄が発病、死去することによって再度徳川の手に戻るなど様々な勢力に翻弄させられます。

1590年に徳川家康が関東に移されると鈴木一族も関東に移り、廃城となりました。

ただ、足助城の歴史はそこで終わりません。

なんと平成に入ってから城の復元計画が持ち上がります。

発掘作業中に大量に見つかった柱の跡や曲輪の後、さらに他の城の資料も使いながら当時の山城を再現しようと試みられたのです。スギョイ。

そのおかげで足助城は戦国時代の山城の姿を今に伝える貴重な遺構となりました。


足助城の入り口では発掘作業の様子や歴史をパネルで見ることができます。

ということで足助城へ!!

入場早々に大規模な曲輪と櫓が見えてきました。

なんかタイムスリップしたような感覚を得られます。

写真だとわかりにくいですが、西の曲輪が段々となっています。
空間としては大きなスペースではないです。

戦国時代の櫓が再現されています。
本丸へと続く道
かまどです。
ここからは大量の灰や炭化した木材が発掘されたそうです。この隣には厨があります。

木戸も上に開けるタイプ



厨の内部
当時の生活様式や建物の作りがわかります。
しかも地面には塩が練りこんであり、籠城時にはこれを削って水に溶かし、上澄みの水を飲んで塩分を補給するなど、戦いの時に備えも重視した作りになっているんだとか。

狼煙櫓
ここから各支城に連絡したようです。

そして本丸へ

本丸には高櫓が再現されています。
ほんとは1メートルほどずれたところにあったようですが、再現した時には某国営テレビのテレビ塔があったために元の位置に作れなかったのだとか
遠くに見えるのが信州に続く街道です。この道を武田信玄も通ったようです。それにしても丸見えですね。敵が攻めてくる様子がよくわかります
足助の町並み


高櫓の内部は殿様の居室、さらに二階は応接間となっています
戦国時代のボットン便所もあります。
ちなみに武田信玄は初の水洗式便所を使い名前を「甲州山」と名付けていたそうです(山には草木(臭き)が絶えないから)



写真左に見える紅葉した山が先ほど登った飯盛山です。少し足助城の方が標高が高いです

ということで紅葉そっちのけで飯盛山城、足助城を紹介しました。

どちらも山城なので体力を使いますが、特に足助城は遺構をうまく活用して戦国の城を再現しているので是非行ってみてほしいです。

香嵐渓には他にも足助の伝統的町並み足助重範を祭った足助神社など紅葉以外の見所もあるので秋に限らずとも是非来てください!