無事退職しました
どうも
年末の慌しい季節ですが、12月26日をもって無事最終出社日を迎えました。1年9ヶ月の保険会社(ネットの世界でD1と書かれる会社です)勤務でした。
星の数ほどムカつくことがありましたが、総じて人に恵まれたのではと思っています
退職に決めた経緯は過去ブログにも書いているのでもうあまり書くことがないです
(以下記事参照)
転職と退職の話 - お城旅行記
一応9月くらいには退職決めたのに結局12月に研修で部署の人員が1人減ること、さらにその12月には忌々しいパーティーと旅行がダブルで襲ってくるというハードスケジュールだったため年末の退職となりました。多分転職としてはかなりイレギュラーなスケジュールだと思います。
ただ、最後の1ヶ月、地獄のイベント運営で自分もそれなりに頑張って働いた結果、なぜか支社のボスに目をつけられ「辞めるのを辞めないか?」という慰留をされるというまさかの評価を頂きました。まぁ慰留するならもっと早くしやがれと思うところですが、丁重に断りました。
人から信頼を得ることの大変さや評価されることの嬉しさを実感できたラストだったと思います。
それで、次の会社ですが、今の会社とズブズブの関係にあるグループの系列会社で専門職として働きます。
生保から損保へと移りますが、近年この二つの垣根も相当低くなっています。私が行く会社もいつ何時合併して元の会社に戻る、なんてこともあるかもわかりません。(そうなった時は絶対に支社勤務は断りたいですが)
将来的な年収は今の所より落ちますが、自分が志望した専門職、データサイエンティストとして働くことができるので正直不安と楽しみがぐちゃぐちゃになっています。
健康に気をつけて、再び痔にならないように気をつけて生活したいと思うので是非今後とも変わらぬご愛顧をよろしくお願いします。
さて、次住むのは東京になるのですが、関東の城めぐり、めちゃくちゃしていきたいです
東日本は土の城がメインなので姫路城のような城は少ないのですが堀や土塁がよく残った城が数多くあります。そいつらを片っ端から攻めていこうと思います。
2018年もこれで終わりですが、2019年はお城とデータ分析を頑張りつつ、20回くらい挫折してまた最近始めたピアノの練習をチョロチョロしていこうと思います。
ナガシマスパーランドに行きました
どうも
タイトル通り、ナガシマスパーランド(以下ナガスパ)に行きました。
これまで仕事でしか行けず、行ったところでホテルでのパーティー準備やらで何も乗れなかったという因縁の場所です。
(ここでいうパーティーとは成績優秀な営業職員をもてなす保険会社特有のパーティーです。決して総合職入社組が楽しめるものではありません)
名鉄名古屋駅からバスも出ていますし、近鉄桑名駅からバスでも行けます。名古屋のバスセンターからであれば、他の施設の入館券も付いてくるなどお得な切符も買えます。
さて、このナガスパ、実は絶叫系の宝庫、「東の富士急、西のナガスパ」と言われてるようです。
まぁどデカイ遊園地なので激混みを予想しつつ入園
あれ、ほとんど人がいない?
アニメ「けものフレンズ」のEDで流れる廃墟遊園地かと思うくらいに人がいない
おい、三連休だぞ?
と、疑問に思いましたが乗り物を乗る側からすれば空いているのはありがたいこと。
早速絶叫系へ
①スチールドラゴン2000
先ほどの写真の奥になんか高いところまで登ってるコースターありますよね?あれです。
なんと園内の観覧車よりも高いところまで登ります。そこから落ちます。150キロくらい出てるそうです
内臓が飛び出るかと思いました。
②アクロバット
このコースター、なんとうつ伏せになって乗るものです
空を飛んでる気分になれます。
これも内臓が飛び出るかと思いました。
途中一回転するところがあるのですがもの凄い重力を感じました
③観覧車
ナガシマスパーランド、実は海に面しています。
また、リゾートのある長島が二つの川に挟まれておりかなり遠くまで見通すことができます。なので眺めが良い。
また、2枚目の写真にあるようにナガスパでは新たなコースターを作っている最中です。
これも出来次第乗りたいです
他にも園内には沢山の乗り物があります。
絶叫好きの人は是非来てみてください
〜おまけ〜
ナガスパに来てはしゃいだら汗かきますよね?
そんな時は湯あみの島に行きましょう。
大きな銭湯施設です。露天風呂も充実しており体がバラバラになるくらい快適なひと時を過ごせます。
〜おまけ2〜
もしあなたが彼女と来て、イルミネーションを見たいと言われたらなばなの里に行きましょう
冬季限定ですが、東海地区一と言われるイルミネーションを見ることができます
ここ、本当は植物園なんですよ。なのにみんなイルミネーション見てる
花より団子とはこのことよ
以上、雑な感じでナガシマスパーランドその他の施設を紹介しました。
ちなみに近くにはホテル花水木などの豪華ホテルもあり、宿泊も可能です。
ちなみにホテル花水木にはパーティー会場もあります。
優秀な成績を挙げた営業職員を労うパーティーを企画している保険会社の皆様、是非使用をご検討ください。料理がめちゃくちゃうまいと評判でした。(そしてパーティーを企画するような部署にお勤めの方、参加者からの満足度が高いです。パーティーの成功並びに出世、間違いなしです)
紅葉を観に行こうよう(飯盛山城・足助城)
ということで、タイトルのまんま、紅葉を観に行きました。
いよいよ退職まで一月強と迫って来たので有名な観光地を押さえておこうと思います。(そいえばまだ退職届出してねぇな…)
さて、今回は愛知でも紅葉が名物と言われる香嵐渓に行ってきました。
朝日が眩しい。。。
香嵐渓へのアクセスですが、自家用車かバスになります。今回は名鉄東岡崎駅からバスで行きました。所要時間は大体70分ですが乗り換えなしでいけます。
香嵐渓で降りると早速人の波。みんな紅葉目当てです。
香嵐渓は川に沿って紅葉が観覧できるようになっており、いろんなスポットがあるみたいです
はじめに地図中央にある飯盛山に向かいます。
香嵐渓のバス停から少し歩くと森林公園がありますがここが飯盛山。
鎌倉時代から南北朝時代にかけて、足助氏の居城、飯盛山城がありました。
かすれかすれですが案内板があります。
さて、足助氏についてですが、鎌倉幕府の御家人だったのですが朝廷との結びつきも深く、後鳥羽院が起こした承久の乱では一族の多くが京方に味方します。
しかし結果は鎌倉幕府の勝利に終わり、生き残った一族によって足助氏も存続します。
その後時は流れ鎌倉時代末期、今度は後醍醐天皇が鎌倉幕府討滅を図ります。
後醍醐天皇は笠置山に籠りますがこの時、足助重範という当時の足助氏当主が後醍醐天皇に味方し鎌倉幕府相手に戦います。
しかし数の差は覆せず結果として足助重範は捕縛され京都の六条河原において処刑、足助氏は全国に散り散りになってしまったそうです。
登山道が整備されていますがそれなりに登るのは大変。しかも気温も低いからか肺が痛くてしょうがない。
しかし土塁や堀などはあまり確認できませんでした。というよりも自然の地形なのか意図的に盛っているのかわからない感じでした。
山から降りる途中、この後紹介する足助城の城主、鈴木一族の墓がありました。
さらに麓には香積寺という寺があります。
先程紹介した足助重範の娘、滝野とその孫である成瀬基久(のちの国宝犬山城主、成瀬氏の祖先)、さらに関白二条良基が足助氏の菩提を弔うために館跡に建てました。
多分城の遺構が残ってるとすればこの辺りのような気がします。
さて、この後は足助城を目指します。
香嵐渓の紅葉を楽しみつつ、抜けていきます。
それにしてもカップルが多い。
ゴミのように人がいたのに城への道に出た途端人がいなくなりました。みんな城には興味ないのかな。
城への看板はしっかりあるので迷うことは無いと思います。
真弓山というのが足助城のある山の名前。
足助城は山城のため基本的には山を登っていくことになります。足が震えてきました。
さて、足助城の説明をします。
足助城は戦国時代にこの地を治めた足助鈴木一族の居城になります。
1525年に徳川家康の祖父、松平清康がこの地を攻め、鈴木一族を服属させました。
しかしこの清康が若くして暗殺されると鈴木一族も離反、その後は離反服属を繰り返し1564年に徳川家康によって完全に服属させられます。
武田信玄が西上作戦を行った際にはこの城にも攻め寄せ、足助城は開城しますが直後に信玄が発病、死去することによって再度徳川の手に戻るなど様々な勢力に翻弄させられます。
1590年に徳川家康が関東に移されると鈴木一族も関東に移り、廃城となりました。
ただ、足助城の歴史はそこで終わりません。
なんと平成に入ってから城の復元計画が持ち上がります。
発掘作業中に大量に見つかった柱の跡や曲輪の後、さらに他の城の資料も使いながら当時の山城を再現しようと試みられたのです。スギョイ。
そのおかげで足助城は戦国時代の山城の姿を今に伝える貴重な遺構となりました。
足助城の入り口では発掘作業の様子や歴史をパネルで見ることができます。
ということで足助城へ!!
入場早々に大規模な曲輪と櫓が見えてきました。
なんかタイムスリップしたような感覚を得られます。
写真だとわかりにくいですが、西の曲輪が段々となっています。
空間としては大きなスペースではないです。
戦国時代の櫓が再現されています。
本丸へと続く道
かまどです。
ここからは大量の灰や炭化した木材が発掘されたそうです。この隣には厨があります。
厨の内部
当時の生活様式や建物の作りがわかります。
しかも地面には塩が練りこんであり、籠城時にはこれを削って水に溶かし、上澄みの水を飲んで塩分を補給するなど、戦いの時に備えも重視した作りになっているんだとか。
本丸には高櫓が再現されています。
ほんとは1メートルほどずれたところにあったようですが、再現した時には某国営テレビのテレビ塔があったために元の位置に作れなかったのだとか
遠くに見えるのが信州に続く街道です。この道を武田信玄も通ったようです。それにしても丸見えですね。敵が攻めてくる様子がよくわかります
足助の町並み
高櫓の内部は殿様の居室、さらに二階は応接間となっています
戦国時代のボットン便所もあります。
ちなみに武田信玄は初の水洗式便所を使い名前を「甲州山」と名付けていたそうです(山には草木(臭き)が絶えないから)
写真左に見える紅葉した山が先ほど登った飯盛山です。少し足助城の方が標高が高いです
ということで紅葉そっちのけで飯盛山城、足助城を紹介しました。
どちらも山城なので体力を使いますが、特に足助城は遺構をうまく活用して戦国の城を再現しているので是非行ってみてほしいです。
香嵐渓には他にも足助の伝統的町並みや足助重範を祭った足助神社など紅葉以外の見所もあるので秋に限らずとも是非来てください!
広島城!
どうも
今日アニメゴジラ第三部「GODZILLA 星を喰うもの」見てきました。
感想としてはゴジラという生き物が好きな人は楽しめる、ただ人間ドラマ含めて映画全体として楽しみたい人はそれなりのところに落ち着く、そんな感じがします。
機会やテクノロジーを信じるビルサルド
神や教義、信仰を重んじるエクシフ
命をつなぎ調和を尊ぶフツア
と、三種族の特徴がよく描かれ対比されていたのは良かったのかなと思います。
アニメゴジラに何を求めてるかで抱く印象は変わるのかなと思いました。
さて、劇中に核兵器に関する描写があったのですが、ゴジラといえば核の申し子とも言われ、元々は水爆実験による影響を受けて太鼓の恐竜が巨大化したというのがそもそもの設定です。
歴代作品でも水爆や原爆についての描写がありますが、今回はそれに関連して、実際に核兵器による被害を受けた広島城について紹介したいと思います。
広島駅から平和大通りへ。道路幅が100メートルあることから100メートル道路と言われ、日本に三本しかないうちの一本がこれです(残り二つは共に名古屋の久屋大通、若宮大通)
途中には学者の顕彰碑などがある他、原爆による犠牲者を悼む石碑などもあります。
平和大通りを進んで行くと川にぶつかります。その川沿いに行くと原爆ドームがあります。原爆投下時に何があったかを示すパネルや慰霊碑が並んでいます。
そんな原爆ドームを横目にさらに川沿いを進んで行くと、目当ての広島城があります。
広島城は戦国時代に毛利輝元によって築かれました。
豊臣秀吉によって五大老に任命された毛利輝元は西国支配の中心をここ広島に据えてまちづくりを行いましたが、関ヶ原の合戦で家康に対抗したため転封されます。
毛利の後には福島や浅野といった大名が領主となりました。
そんな広島も明治維新を迎えた後は日本軍の拠点が置かれ軍都として発展します。
広島に原爆が投下された理由にもなった軍都としての機能が大きくなり、日清戦争時には大本営が置かれ国会も開かれました。
原爆投下時は火災で燃えることはなかったようですが爆風による倒壊は免れず天守閣始めとした城の史跡はほとんどなくなったようです。
敷地内には戦争による被害を示すパネルもあり、
復興天守も拝めます。中は博物館となっており兜の試着も出来ます。
敷地内にあるこの白い扉、フェンスで今は覆われていますが、ここはかつて作戦司令部として使われ、原爆投下時に破壊された市内の電信に代わってここから広島の惨状を伝える一報が発信されたのだとか。
先ほど書いた、大本営後もきちんと残っています。
天守閣からは広島市内が一望出来ます。
堀を含めた広島城。
地元からは残念な城と言われているようですが、明治から昭和にかけて日本の軍事を担った軍都としての記憶や原爆の影響を今に伝える貴重な史跡だと思います。
また、敷地から少し離れると陸軍幼年学校の跡地も現れます。
将校となる人材を供給する役目を担った幼年学校ですが今は門を残すのみ。この幼年学校のあり方も後世様々な批評がなされています。
広島にはこのように戦争の面影がいろんなところに残されており、なんというか背筋がピンと伸びるような感覚を感じることができます。
おまけ
広島といえばお好み焼きですが、広島市内にはこんなものがあります、
そう、お好み村
村といっても広い敷地ではなく一棟のテナントビルに沢山のお好み焼き屋が入居しています。
はしごもできるので広島にお越しの際は是非来てみてください。
ゴジラフェス!!
どうも
新居を決めに東京行きました。
とりあえず希望予算内でいい物件があったので良かったです。
高校の頃から東京で一人暮らしするというのにすごく憧れてて、今回転職を機にそれが叶ったことがめちゃくちゃ嬉しい!!
まずは仕事に慣れることが優先ですが落ち着いたら東京の史跡等も紹介していきたいです。
さてさて、
今日、11月3日ですが何の日だかわかる方いますか?
正解はゴジラの日
昨年、東宝が日本記念日協会から認定を受けて制定されました(嘘だと思う方もいるかもしれないですが何と日経新聞にも取り上げられました)
さて、なぜゴジラの日が11月3日なのか…
それは第1作目「ゴジラ」が公開されたから
第1作目の記念すべきゴジラは観客動員数が960万人超えと大ヒットし、ここからゴジラシリーズがスタートしました。それを記念してこの日に決められたのです。
さて、そんな11月3日、東宝日比谷にてあるイベントが行われました。
これです。ゴジラフェス。
昨年は新宿で行われ、シンゴジラ出演俳優が来るなどかなり盛況でしたが今年は日比谷にて行われました。
具体的に何をやってるかというと
ステージでのトークショーや抽選会
そしてゴジラにちなんだ食べ物販売です。ギドラパフェとか遊びすぎやろ。クオリティが高い。
他にもこのフェス限定のグッズ販売が行われました。
展示物としては3Dプリンターで作られたゴジラも展示されてました。金ピカ!!
昨年かなり物品にお布施してしまったのと、引っ越し費用等を鑑みてほとんど買い物しませんでしたがご朱印帳が新たに販売されるなどグッズのクオリティも高くなっていました。
ゴジラ好きにとって年一のイベントなので来年も楽しみにしています。
宅建!
宅建、受けました!
多分落ちました!
次頑張ります!!!
ということで宅建受けてきました。直接業務に関わるわけでもなく、かといって転職先でも必要になるというわけではないのですが、街巡りとか建物見るの好きだし、ちょっと勉強してみようという感じで受けたのですが、まぁ準備不足も甚だしかったみたいですね。
次は一年後なのでその間に証券アナリストとかの他の試験もやりつつ生きていこうと思います。
今までありそうでなかったゴジラ検定
しかも受験地は東京。転職後に受けられる!!
お値段が、中級でも6000円とちょっと張りますが…
ブログでもたまーに書いてますが、僕は生粋のゴジラファンなのでこれは是非とも受けたいです。
おわり
米原駅周辺(旅行後編)
はい、後編です。
舞台を京都から米原駅に移します。
米原駅って皆さん知ってます?東海道新幹線も止まる駅ですが、いかんせん名古屋と京都に挟まれてあまり知名度がありません。それどころかなんで止まるんだろうってくらいには何もない印象が強い。
いっそ岐阜羽島駅共々東海道新幹線から消えても誰も気にしないのではないかと思うくらいには印象が薄いです。(岐阜羽島駅も知名度相当低いと思う)
ということで今回は米原駅の周辺を散策します。ちなみにこの駅にある立ち食いうどん屋はうまい。
本当はレンタサイクル借りたかったのですが生憎全部借りられていたのでバスと徒歩で頑張ります。
駅の東口には風土記を模した木彫り絵がかけられています。
さらに外にはかつて湊があったことを示す案内板があります。
まずは東口を見て行きましょう。
とりあえず空が青い。という感想しかないくらいには何もない。この道を歩いていき途中山の方に進んで行きます。
山道に沿って進むとこんな看板が。
この道は江戸時代に作られたこと、米原の発展に寄与した道ということがわかります。ちなみにこの道の横にある山、実は城跡。太尾山城というお城がありました。
ただ山なのでとりあえず今は放置。
山道を抜けると田園地帯へ。
西日が差しなんかこう、胸がキュンと締め付けられるような感覚を感じながら進んでいきます。この時点で駅から2キロ以上歩いています。
チャリが欲しい。
そんなこんなで歩いて行くとお目当ての看板が出てきました。番場宿です。
道脇に当時どんな建物があったかを石碑が建っていますが目的地はここ。
蓮華寺です。
聖徳太子によって開かれた寺と言われています。
ここは鎌倉時代末期、足利尊氏に攻められた六波羅探題であった北条仲時という人が、皇族を連れて鎌倉に逃げる途中、進退窮まって主従430人以上と自害した場所です。
鐘楼や本堂です。この裏手にある山に、主従の供養塔が立っています。
五輪の塔が所狭しと並べられています。かなり静寂な雰囲気でした。
ちなみに北条仲時のお墓はさらに奥の山である六波羅山に移されており、五輪の塔が建てられています。流石にそこまで行く体力はありませんでした。
さて、いい時間にバスがあったので駅までピューっと帰りました。
駅西口から少し歩くと田園風景。新幹線が止まる駅とはとても思えない。。。
この田園をとぼとぼ歩くと一つの祠があります。これがどんな祠かというと…
大谷吉継の首塚です。
大谷吉継といえば、ハンセン病を患っていながら関ヶ原の戦いに西軍として従軍、小早川秀秋と交戦して討ち死にしました。
実はこの時首が発見されず、一説として従軍していた僧の祐玄が首この地まで運び、埋めたという伝承が残っています。
それを示す塚となっています。
さて、最後に駅の東口にある2つの寺社に行きます。2つとも東口から歩いてすぐです。
参道をテクテク歩いて行きます。
湯谷神社と太尾山城です。太尾山城は山城で山の尾根に沿って築かれています。織田信長と浅井長政の戦いの舞台となりました。
流石に登る時間も体力もなかったので案内板だけ…(この時点で足はもうボロボロでした。蓮華寺まで歩いたのが良くなかった。というか京都も歩きっぱなしだった)
もう1つが青岸寺です。開基は婆娑羅大名として知られる佐々木道誉です。一方で風雅の道も心得た人だったらしく、この寺も枯山水庭園が国の名勝となっています。
庭内にはキリシタン灯篭と呼ばれるものがあります。織部灯篭とも呼ばれており、一般的な灯篭とは形が異なるようです(どこがどう違うのかよくわからなかった…)
庭の全景。あーなるほどという感想しか出てこないくらいにはこの風流を解する心を持ち合わせていませんでした。ごめんなさい。
という感じで米原駅を散策しました。
駅前には平和堂というデパートもどきと山内農場と東横インがありましたがほかにはなんもなかったです。
ですが城や神社などそれなりに史跡もあるため、京都に行く予定がある人はぜひお立ち寄りください。